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TAP the POP

佐藤 剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、仙台市育ち。音楽プロデューサー/作家。
音楽業界誌『ミュージック・ラボ』を経て、1977年から86年の解散まで甲斐バンドのマネージメントを行う。その後にTHE BOOM、プライベーツ、宮沢和史、喜納昌吉とチャンプルーズ、ヒートウェイヴ、中村一義、有里知花、スーパーバタードッグ、ハナレグミ、小野リサ、由紀さおり、マルシアなどをプロデュース。
舞台「久世光彦 マイ・ラスト・ソング~あなたは最後に何を聞きたいか~」、「Sing with TORIRO 三木鶏郎と異才たち」、美空ひばり二十三回忌イベント「HIBARI 7 DAYS」などのプロデュースと演出を手がける。
著書はノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店/小学館文庫)『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、最新作は『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)。
現在はRomancer Cafe にて『阿久悠と歌謡曲の時代』を連載中。 https://romancer.voyager.co.jp/cafe

佐藤 剛 が最近聴いてるアルバム

佐藤 剛 の記事一覧

Extra便

清潔で、さわやかで、それでいて野心的な若者と感じたCharのために阿久悠が書いた「気絶するほど悩ましい」

『没後10年・作詞家50年メモリアル 阿久悠リスペクトコンサート 〜君の唇に色あせぬ言葉を〜』が、2017年11月17日と18日に東京国際フォーラム ホールで開…

TAP the SONG

”阿久悠は新時代の旗手になる!”と小西良太郎に言わせた歌「ざんげの値打ちもない」

1967年の2月にザ・タイガースがデビューしたときから、日本では空前のグループ・サウンズ(GS)のブームが爆発した。 前年の夏にビートルズの来日公演が行われる前…

TAP the STORY

阿久悠の27歳~僕が作詞家になれたのはビートルズのおかげです

僕が作詞家になれたのはビートルズのおかげです。 ビートルズの出現で60年代半ばにエレキギターの楽器革命が起こりました。 それまで楽器はプロでなければ扱えなかった…

Extra便

2006年の夏に「誰が歌謡曲を殺したか」という、遺言のようなエッセイを発表した阿久悠

2006年7月1日、東京新聞にひとつのエッセイが掲載された。 タイトルは「誰が歌謡曲を殺したか」という、いささか刺激的なものだった。 これを書いたのは作詞家の阿…

Extra便

ヨーロッパの洗練がアメリカの土くささにブレンドされて、新しいポップスが誕生~『ひこうき雲』

偶然が重なっているんだよね~松任谷由実 アルバム『ひこうき雲』は1973年の初夏に、本格的なレコーディングが始まった。 GSブームとともに若手作曲家として一気に…

TAP the SONG

山川啓介~矢沢永吉に「チャイナタウン」をひとり往くハードボイルドな男を見た作詞家

キャロルが解散した1975年の秋に発表された矢沢の1stアルバム『I LOVE YOU、OK』は、かつてのファンの間では賛否両論を巻き起こした。 粗削りながらも…

Extra便

追悼・常田富士男~反体制ミュージカル『真田風雲録』で注目を集めて、「私のビートルズ」をレコードに吹き込んだ個性派俳優

1937年1月30日に長野県で生まれた常田富士男は、6歳のときに父親を戦争でなくした。 それから各地を転々とした後、小学3年時より母の郷里となる熊本県阿蘇郡南小…

Extra便

激しい雷雨で伝説となった後楽園球場のグランド・ファンク・レイルロード来日公演

日本のロック伝説のひとつとして今なお語り草になっているのが、雷鳴が轟く豪雨の後楽園球場で行なわれたグランド・ファンク・レイルロードのライブである。 それは197…

TAP the SONG

石原裕次郎に頼まれて浜口庫之助が作った「夜霧よ今夜も有難う」

1966年に山中湖畔のゴルフ場で作曲家の浜口庫之助が石原裕次郎と会ったのは、まったく偶然のことだった。 浜口はその日、山梨県警の本部長と公正取引き委員会の知人と…

Extra便

追悼・大橋巨泉~小学生の細野晴臣がいつも聴いていたラジオ『昨日のつづき』

中学時代から俳句をたしなんでいた大橋克己は、高校生のときに俳号で「巨泉」を名乗り始めて、それがそのままペンネームと芸名になった。 1950年代の後半から大学生の…

Extra便

追悼・石田長生~偉大なるミュージシャンズ・ミュージシャンにしてプロデューサー

石田長生さんの訃報がツイッターやFBで2015年7月8日の朝から流れて、HPを訪れてみると確かにその事実が告知されていました。 ご報告。 かねてから闘病中でした…

Extra便

追悼・相倉久人 大瀧詠一とのナイアガラ対談で発表された「分母分子論」

1983年の11月から12月にかけて雑誌『FMファン』での対談で、大瀧詠一の「分母分子論」は発表された。 それはジャズ評論家の相倉久人を先生として、生徒の大瀧が…

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