TAP the SONG
中島みゆきの「糸」をスタンダードにしたのは、逢うべき歌とめぐり逢えて「仕合わせ」を感じた人たちだった
その歌は1992年に発売された中島みゆきの通算20作目にあたるアルバム、『EAST ASIA』にさりげなく収められていた。 発表からすでに24年、干支でいえばふ…
1952年岩手県盛岡市生まれ、仙台市育ち。音楽プロデューサー/作家。
音楽業界誌『ミュージック・ラボ』を経て、1977年から86年の解散まで甲斐バンドのマネージメントを行う。その後にTHE BOOM、プライベーツ、宮沢和史、喜納昌吉とチャンプルーズ、ヒートウェイヴ、中村一義、有里知花、スーパーバタードッグ、ハナレグミ、小野リサ、由紀さおり、マルシアなどをプロデュース。
舞台「久世光彦 マイ・ラスト・ソング~あなたは最後に何を聞きたいか~」、「Sing with TORIRO 三木鶏郎と異才たち」、美空ひばり二十三回忌イベント「HIBARI 7 DAYS」などのプロデュースと演出を手がける。
著書はノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店/小学館文庫)『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、最新作は『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)。
現在はRomancer Cafe にて『阿久悠と歌謡曲の時代』を連載中。 https://romancer.voyager.co.jp/cafe
TAP the SONG
その歌は1992年に発売された中島みゆきの通算20作目にあたるアルバム、『EAST ASIA』にさりげなく収められていた。 発表からすでに24年、干支でいえばふ…
TAP the DAY
「3月11日はやはり東日本大震災が起きた日として自分の中に在ります」と語るのは、歌謡コーラス・グループ「純烈」を結成してリーダーとなり、プロデューサー役を務めて…
TAP the SONG
写真・井出情児 小室等は日本にフォークソングという呼び名がなかった頃に、キングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」を聴いてギターを始めた。 1960年代の初頭に…
TAP the SONG
RCサクセションは1972年に「ぼくの好きな先生」が少しヒットしただけで、それ以降はまったく売れない時期が数年間も続いて不遇だった。 しかし1977年に生涯のパ…
TAP the SONG
日本のロックの原点を築いたジャックスの早川義夫はこんな言葉を残している。 歌は悲しいから歌うのだと思っている。 寂しいから歌うのだ。 人とは、違うから歌うのだ。…
TAP the SONG
関西フォークの発信元となったインディーズのURCレコードで、ジャックス解散後に契約ディレクターとして働き始めた早川義夫は、1969年の晩秋にソロ・アルバム「かっ…
Extra便
2006年7月1日、東京新聞にひとつのエッセイが掲載された。 タイトルは「誰が歌謡曲を殺したか」という、いささか刺激的なものだった。 これを書いたのは作詞家の阿…
TAP the DAY
1964年9月1日はニューヨークのシェイ・スタジアムで、史上初の日本人大リーガーが誕生した記念日である。 サンフランシスコ・ジャイアンツの「マッシー・ムラカミ」…
TAP the SONG
兄妹デュオのリチャードとカレンが「カーペンターズ」名義で、ロサンゼルスのA&Mレコードと契約を結んだのは、1969年のことだった。 だが、その年にリリ…
Extra便
スウェーデン出身のアヴィーチー(Avicii)ことティム・バークリングは、19歳で世界のトップDJとして認められて、EDMのムーブメントを牽引してきた。 ショー…
TAP the SONG
中村八大と永六輔コンビの書き下ろしによる「上を向いて歩こう」が、坂本九によって最初に唄われたのは1961年7月21日、「第3回中村八大リサイタル」のなかでのこと…
Extra便
日本の音楽シーンに多大なる足跡を残した「RCサクセション」が1979年、ロックバンドに変わってから最初に発売したシングルは「ステップ」だった。 そのB面に入って…