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TAP the POP

佐藤 輝

1984年東京都生まれ。ライター。
R.E.M.を子守唄として聴かされ、高校受験のときに母親から渡されたベックの『Mellow Gold』とクラッシュの『London Calling』でロックに目覚める。明治学院大学ではジャズ研究会に所属。卒業後、下北沢の風知空知で接客業をしながらPAを学ぶ。2011年よりファイブディー・ラボに勤務。

佐藤 輝 が最近聴いてるアルバム

佐藤 輝 の記事一覧

TAP the LIVE

売れないバンドだったキッスが放った起死回生のライヴ・アルバム

のちにキッスを結成することになるポール・スタンレーとジーン・シモンズ。 2人はもともとウィキッド・レスターというバンドのメンバーだった。 1970年に結成された…

TAP the CHANGE

フランク・シナトラのように歌いたかったジム・モリソン

1960年代後半のアメリカにおけるロック・シーンで、セックスシンボルとなったドアーズのジム・モリソン。 その最期は27歳の若さで不慮の死を遂げるという、破滅的な…

TAP the LIVE

なぜポール・シムノンはステージの上でベースを叩き壊したのか?

その1枚が撮影されたのは1979年の9月21日、ニューヨーク・パラディウムで開かれたコンサートでのことだった。 この年の夏、ロンドンで新作アルバム『ロンドン・コ…

TAP the LIVE

留置番号22番、ポール・マッカートニーが警視庁の雑居房で歌った「イエスタデイ」

留置番号22番、それがポールに与えられた番号だった。 ポール・マッカートニーが大麻所持容疑により日本で現行犯逮捕された。そんな衝撃的なニュースが世界を駆け巡った…

TAP the LIVE

伝説となった紅白歌合戦の「夜へ急ぐ人」~ちあきなおみとジャニス・ジョプリンの狂気

まったく面識もなければ縁もなかったちあきなおみから、友川カズキが楽曲を依頼されたのは突然のことだった。 それが1977年のことで、友川はそのとき大阪にいた。 「…

TAP the LIVE

伝説のライブハウス、CBGBとその最後を飾ったパティ・スミス

2006年の10月15日、ニューヨークのイーストヴィレッジに構えるライブハウスの最期を見届けようと、多くの人たちが集まった。 そのライブハウスの名前はCBGB。…

TAP the LIVE

ビーチボーイズのターニング・ポイントとなった1964年と『エド・サリヴァン・ショー』への出演

1964年は全米チャート・シーンに大きな変化が起きた年だ。 ビートルズを筆頭にイギリスのロック・バンドが次々とアメリカに進出し、全米トップチャートを席巻したので…

TAP the LIVE

中津川でフォークジャンボリーを始めて終わらせた笠木透の言葉

ウッドストック・フェスティバルが開催された1969年の夏、岐阜県では第1回全日本フォークジャンボリーが開催された。 野外フェスの先駆けにもなったこのイベントの実…

TAP the CHANGE

ビートルズ映画から始まった出会いの連続の中で培われた石田長生の感性

石田長生が最初に衝撃を受けた音楽は、動いている映画のビートルズだった。 小学6年生のときに映画『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』を観にいって、「おお…

TAP the LIVE

ジョアン・ジルベルトを偲んで~ボサノヴァの名盤『ゲッツ/ジルベルト』のコンサートが行われたカーネギーホールの客席にいた中村八大

作曲家の中村八大が家族とともにニューヨークへと移住したのは、1964年の8月が終わろうという頃だった。 坂本九が歌った「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」…

TAP the CHANGE

グリーン・デイと出会って一瞬にしてふっ飛んだ峯田和伸の憂鬱とけだるさ

1994年。峯田和伸は自転車で片道30分のところにある共学の高校に通う、見た目は普通の高校二年生だった。 だが彼の部屋の壁には音楽雑誌「ミュージックライフ」や「…

TAP the CHANGE

ドノヴァンがビートルズの「ラヴ・ミー・ドゥ」から受け取ったもの

ビートルズの記念すべきデビュー・シングルとなった「ラヴ・ミー・ドゥ」。 プロデューサーのジョージ・マーティンが用意した曲を拒否して、オリジナルにこだわって録音さ…

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