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TAP the POP

佐藤 輝

1984年東京都生まれ。ライター。
R.E.M.を子守唄として聴かされ、高校受験のときに母親から渡されたベックの『Mellow Gold』とクラッシュの『London Calling』でロックに目覚める。明治学院大学ではジャズ研究会に所属。卒業後、下北沢の風知空知で接客業をしながらPAを学ぶ。2011年よりファイブディー・ラボに勤務。

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佐藤 輝 の記事一覧

TAP the LIVE

「さあ、終わったぞ。僕はもうビートルじゃないんだ!」~死の恐怖に直面していたビートルズのラスト・コンサート

1966年のビートルズは全世界にまで知れわたる人気バンドであり、前人未到のアイドルとなっていた。 しかし順風満帆だったその快進撃に陰りが見え始めたのもこの年から…

TAP the LIVE

ロック・コンサートの新たな時代を切り拓いたビートルズのシェイ・スタジアム・コンサート

1965年、ビートルズの人気は空前絶後のものとなっていた。 4月にリリースしたシングル「涙の乗車券」は英米ともに1位、7月には2作目となる映画『ヘルプ!4人はア…

TAP the DAY

伝説のライブハウス、フィルモア・イーストに宿ったビル・グレアムの理念

数々の名演、伝説が生まれたライブハウス、フィルモア・イーストがニューヨークで開店したのは1968年3月8日のことだった。 オーナーのビル・グレアムはサンフランシ…

TAP the LIVE

安田南のステージが占拠されて幕を閉じた第3回フォーク・ジャンボリー~「日本の音楽シーンがフォークからロックに変わった瞬間だった」

1969年から始まった日本初の野外フェスティバル、全日本フォーク・ジャンボリーは岐阜県の中津川市で暮らす若者が中心となって始まり、第1回では2500人ほどの人た…

TAP the LIVE

本国アメリカで売れていなかったチープ・トリックはいかにして武道館の舞台に立ったのか?

ディープ・パープルが1972年にリリースしたライヴ・アルバム『メイド・イン・ジャパン』が世界的なヒットとなって以来、日本では来日公演をライヴ・アルバムにすること…

TAP the LIVE

ステージで思わぬ再会を果たしたドン・フェルダーとスティーヴン・スティルス

世界中のロック・ファンの注目を集めたスーパーグループ、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)が活動休止となったのは1970年の夏のこと…

TAP the LIVE

音楽に対する純粋な想いとレコード会社の支えによって生まれた『フランプトン・カムズ・アライヴ』

1975年の夏、ライヴ・アルバムのミックス作業を終わらせたピーター・フランプトンは、出来上がった音源を所属するA&Mレコードの創始者、ジェリー・モスに…

TAP the DAY

姿を消したディランを再び表舞台へと導いたウディ・ガスリー追悼コンサート

ウディ・ガスリーは、フォークソングの父とも称される人物だ。 1912年にオクラホマで生まれ、大恐慌時代のアメリカを放浪し、各地のフォーク・ソングを歌い継ぎながら…

TAP the LIVE

12月31日に全盛期の輝きを取り戻したエルヴィス・プレスリー

“キング・オブ・ロックンロール” “史上最も成功したソロ・アーティスト” 貧しい片田舎出身の若者、エルヴィス・プレスリーは1950年代後半、わずか数年で誰も掴み…

TAP the LIVE

ザ・フーの歴史的ライヴ・アルバムはどのようにして生まれたのか?

「我々の意図は、単に、みんなを圧倒することだった」 ザ・フーのピート・タウンゼントが自伝でそう語ったのは、1970年にリリースしたアルバム『ライヴ・アット・リー…

TAP the DAY

アッティカへの怒りからステージで「イマジン」を歌ったジョン・レノン

ジョン・レノンがオノ・ヨーコとともにニューヨークに移住したのは1971年の9月のことだ。 近隣には数多くのアーティストや活動家が住んでいて、新天地でジョンは彼ら…

TAP the LIVE

クイーンが頂点に上り詰めたことを証明したハイドパークでのフリー・コンサート

ロンドン市内で最大の面積を占め、400年以上の歴史を持つ公園、ハイドパーク。 毎年夏にはコンサートが催されるなど音楽ファンにも馴染み深いが、その名前を一躍有名に…

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