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TAP the POP

阪口 マサコ

1967年大阪府出身、兵庫県在住。
音楽プロデューサー故鈴木健士氏が設立したミュージックソムリエ協会の講座を経て、2014年にミュージックソムリエとなる。
音楽とともに美術、民藝、園芸、建築、阪神タイガースを愛する関西人。
ブログ「音楽は出会った時が“その時”です」/

阪口 マサコ が最近聴いてるアルバム

阪口 マサコ の記事一覧

ミュージックソムリエ

アフリカへの思いと新しい命の誕生~「可愛いアイシャ」 スティーヴィ・ワンダー

1962年にモータウンと契約を結んだスティーヴィ・ワンダーは、極めて短いスパンでアルバムを発表し続けてきた。 1973年の自動車事故で瀕死の重傷を負ったにもかか…

ミュージックソムリエ

もう青い瞳のソウルなんて言わせない~ダリル・ホール&ジョン・オーツ

ダリル・ホール&ジョン・オーツが真のソウル・シンガーであることを証明したのは1980年代になってからだ。 ウィリアム・ペンが17世紀にアメリカでペンシルバニアを…

ミュージックソムリエ

失意の中で慰めあって作った「追憶のメロディ」~ダリル・ホール&ジョン・オーツふたりの原点

ホール&オーツはRCAに移籍して1976年に「サラ・スマイル」をヒットさせたが、その勢いに乗る形でアトランティックは過去のシングル曲「追憶のメロディ(She’s…

ミュージックソムリエ

誤解が街の噂になった二人のシルヴァー・アルバム~ダリル・ホール&ジョン・オーツ

フィラデルフィアの大学で出会ったダリル・ホールとジョン・オーツは名門スタジオ、シグマ・サウンドのセッション・ミュージシャン等の経験を経てアトランティック・レコー…

ミュージックソムリエ

新聞の小さな記事からエディが伝えたかったこと~パール・ジャムの「ジェレミー」

1991年1月8日火曜日 テキサス州にあるリチャードソン・ハイスクールの2時限目、欠席がちだった16歳のジェレミー・ウェイド・デルは、英語教師から事務室に行って…

ミュージックソムリエ

さらなる高みを目指して「Higer Ground 」~スティーヴィからレッチリへと受け継がれた歌

「5月11日に書いたんだ、日付もハッキリ覚えている。何から何までー」 「何かが起ころうとしているのを感じ取っていたんだろう。それが何でいつ起こるのか分かる訳がな…

ミュージックソムリエ

苦悩に染められたレディオヘッドの「Creep」は、ファンにも彼らにとってもスペシャルな1曲に

英国の階級は大まかに上流階級(アッパー・クラス)、中流階級(ミドル・クラス)、労働者階級(ワーキング・クラス)の3つに分かれ、それぞれが閉鎖的だ。 1990年代…

ミュージックソムリエ

デイヴ・グロール20年目の決意~フー・ファイターズ「I AM A RIVER」

ニルヴァーナのドラマーだったデイヴ・グロール。 1994年、カート・コバーンの突然の死から半年後、その深い悲しみを断ち切るようにたったひとりで始めたフー・ファイ…

ミュージックソムリエ

21歳のスティーヴィ・ワンダーが「心の詩」で奏でる「スーパーウーマン」

21歳。 日本では大半が大学生活を送っているのかもしれない。 そして就職活動にいそしんでいるのかもしれない。 その意味では、今後の人生を深く考える年齢であるのだ…

ミュージックソムリエ

盲目の天才少年が歌った「風に吹かれて」が、黒人のソウル・チャートで1位に!

1961年にモータウンと契約した11歳のスティーヴィ・ワンダーは、12歳で”盲目の天才少年”リトル・スティーヴィ・ワンダーとしてデビューした。 そして1963年…

Extra便

憧れのボ・ディドリーとのツアーで、どんとが骨折するアクシデント

ボ・ガンボスの“ボ”は、どんとが敬愛するボ・ディドリーの“ボ”からつけられた。 1988年に行われたボ・ディドリーとの対談でも、どんとは自らを「私は世界一グレイ…

Extra便

スペイン語の陽気なクリスマス・ソング「フェリス・ナヴィダ」が生まれた瞬間

メリークリスマス”をスペイン語では ”Feliz Navidad(フェリス・ナヴィダ)”という。 その言葉を3回くり返すシンプルなクリスマス・ソングが、アメリカ…

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