TAP the BOOK

駒沢敏器の旅の本を開くと、いつだって本物の音楽がそっと聴こえてくる

2017.03.18

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今から数年前のこと。渋谷のタワーレコードがまだリニューアルする前で、7階フロアには膨大な数の書籍や洋書が売られていた。ある日立ち寄ってみると、その一角に「旅と生き方」に関する本がレイアウトされた小さなコーナーをたまたま見つけた。

並んでいるのは国内外のエッセイやノンフィクションや小説で、原点とも言えるソローの『森の生活』、オーストラリアのアボリジニの伝説を題材にしたブルース・チャトウィンの『ソングライン』、クリストファー・マッカンドレスのアラスカの足跡を綴ったジョン・クラカワーの『荒野へ』など。さらに日本人作家としては嬉しいことに駒沢敏器の本も陳列されていた。

「駒沢さん、元気にしてるかな」。確か『アメリカのパイを買って帰ろう』か『語るに足る、ささやかな人生』を手に取りながら、そんなことを思った。駒沢さんとは随分会っていない。それからしばらくして、駒沢さんが亡くなったことをTVのニュースで知った。

「駒沢敏器」の名を知っている人は、正直そんなに多くはないと思う。なぜなら彼は文壇やらベストセラーシステムといった権威やマーケティングの悪臭からは距離をおいた、数少ない「本物の書き手」だったからだ。類い稀なトラベル作家であり、良質な文学をたくさん届けてくれた翻訳家であり、自らの心の風景を描いた小説家でもあった。

忘れられないエピソードが一つある。2006年夏の終わり。航空会社の機内誌コンペの件で追いつめられていた時、すでに雑誌編集者を経て屈指のトラベル作家となっていた駒沢さんに連絡を取り、仕事の件を相談させてもらうことになった。向かった先は東急田園都市線のたまプラーザ駅近くにある『トルバドール』という、音楽好きならたまらないネーミングのアメリカンダイナー。駒沢さん行きつけの店だ。

10年ぶりの電話に快諾してくれただけでなく、まるで昨日もその件について話し合っていたかのように、彼は旅とは何なのか? 機内誌はどうあるべきなのか? を静かに語ってくれた。書き手の心構え。好きな音楽や文学や映画の話。アメリカとハワイと沖縄が自らのソウルマップであること。酒や食べ物のこと。出逢った人々のこと。

結局、コンペには負けてしまったが、そんなことはどうでも良かった。「こっちには駒沢敏器がいるんだぜ」って気持ちになれたのだ。「僕でよかったらいつでも相談にのるよ。人も紹介するから」と言ってくれたことは、一人でどうにしかしなければならなかった者にとってどれほど救済されたことか。きっと目の前の荒んだ心の風景をとらえてくれたのだろう。余計なことを口にしない寡黙で優しい人だった。でも旅や文学や音楽のことになると、とても楽しそうに話をしてくれる。駒沢さんのその時の声が好きだった。

翌年。幸運にも航空会社のトラベル特別号を担当することになった時は、真っ先に駒沢さんに原稿を依頼した。その時の巻末エッセイ『もうひとつの旅へ』は、それまでどんな機内誌にも掲載されたことのない素晴らしい文章となった。果たせなかった約束が叶ったのだ。

『ミシシッピは月まで狂っている』『街を離れて森のなかへ』『地球を抱いて眠る』『語るに足る、ささやかな人生』『アメリカのパイを買って帰ろう』『夜はもう明けている』など、駒沢敏器の著作と向き合う時、それは見知らぬ風景と出逢う旅となる。そしてどのページからも極上のルーツ・ミュージックが聴こえてくる。

例えば、ヴェンダースのロードムービー。例えば、ライ・クーダーやヴァン・モリソンやトム・ウェイツの音楽に触れた時のあの感覚。だから駒沢敏器の物語は、週末の昼下がりにコーヒーを飲みながらでも、真夜中にウイスキーを傾けながらでも、読み手をそっと、その人だけの旅路へと誘う。本を閉じる頃には、見知らぬ土地はいつの間にか馴染みの風景となっている。

処女作『ミシシッピは月まで狂っている』(1996)は、ハワイ、アパラチア、アイルランド、アメリカ南部を訪れ、土地で育まれた音楽と人々との関わりを綴った。その第3章「酒と音楽しかない」の117~120ぺージにかけての描写は、どんなに分厚くて偉そうな文献よりも、アイルランドの時間的/音楽的風景を切ないほどに描き出していた。

特徴的なのは、風景だけでなく、空もまた同様だった。アイルランドでは、雲の高さが異様に低いのだ。手が届きそうなほど低い場所にうっすらと雲がかかり、すぅっと雨を降らせて、あっという間に青空が戻って来る。四方を海に囲まれているうえに大きな山がなく、しかも多くの森林を失ってしまっているために、このようなことになるのだ。

さらに西へ向かっていくと、僻地性はより増していった。見渡す限り芝と岩だけで、風が強く、その風の音以外は、何も聞こえて来なかった。こんな荒涼とした風景の中に人が住んでいるとは、ちょっと想像がつきにくかった。横から吹いてくる風は、秋だというのに骨にしみるほど冷たく、どこか「あの世」のような感じなのだ。

このような、人知とは違う次元での何かが支配的な場所では、そこから生まれてくる音楽も違うものになるのは、当然のことかもしれない、と僕は実感した。人が人として音楽を作るのではなく、風景の中に宿っている何かに感応するように、人を通じて音が生まれてくるのだ。つまり人は作り手ではなく、神と音の間にたった媒介にすぎない。

波と強い風の音以外、何も聞こえなかった。世界の果てに来たような気がした。海の寂しい感じは、冬の日本海など比べ物にならなかった。最果て感と寂寞感のようなものが胸の奥にうっすらとこみ上げ、蜃気楼のように浮かぶアラン島の影を、僕は沖の彼方に見ていた。


駒沢敏器 1961-2012.3

『ミシシッピは月まで狂っている』

『ミシシッピは月まで狂っている』


文中のエッセイ『もうひとつの旅へ』
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*このコラムは2015年11月9日に公開されました。

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