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数々の伝説を持つ洋楽ディレクターだった磯田秀人氏がまとめた自伝「きっかけ屋アナーキー伝」

2019.05.09

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磯田秀人氏は1968年に創立されたレコード会社のCBSソニーレコードに入社し、洋楽ディレクターとしての5年間でシカゴ、ブラッド・スウェット&ティアーズ、ジャニス・ジョプリン、サンタナなどを担当した。

なかでも有名なのは、アメリカで発売になった正規のライヴ盤に比べて、はるかに“ロックしている”という評判を得た『シカゴ・ライブ・イン・ジャパン』である。



ズブの素人ともいえる若い洋楽ディレクターが、欧米でブレイク中だったロック・バンドのシカゴと、確固たる地位を築いていたサンタナのライブ録音を制作できたのは、シカゴが出した初のライブ・アルバムを気に入らなかったからだったという。

5月1日に発売された磯田氏の自伝「きっかけ屋アナーキー伝:昭和♡平成企画屋稼業♡ジャズもロックも本も映画も」には、当時の気持ちと体験がこのように記されている。

二度目の来日直前に発売された『シカゴ・アット・カーネギーホール』(4枚組)の演奏も録音も枚数も気に入らなかったぼくは日本でのライブ録音をアメリカCBSに申請した。
思いがけずOKが貰えたのはまさに冗談から駒!?。
実際の録音はシカゴのプロデューサー J・W・ガルシオとエンジニアのウェイン ・ターノフスキーが来日して1972年6月10日、11日、14日に大阪フェスティバルホールで録音。
選曲、編集、トラックダウンはテープをアメリカに持ち帰って彼らが行うものと思い込んでいたが、後は頼みますと言って彼らは帰国し、その後の選曲、編集トラック・ダウン、アートワークなどすべての作業はレコーディング初体験の24歳のぼくに任された。



翌年にシカゴが再来日した時、磯田は武道館のトイレで偶然に顔をあわせたメンバーのジェームス・パンコウから、「『シカゴ・ライブ・イン・ジャパン』の音はいいね」と褒められたという。

後にメンバーのウォルター・パラゼイダーも、「『Live In Japan』の音のクオリティが大変気に入っている。ロックに向いていないカーネギー・ホールの音より数段いい」と述べていた。

また1973年に初来日を果たしたサンタナを横尾忠則と引き合わせたことから、前代未聞の22面ジャケットによる3枚組ライブアルバム『ロータスの伝説』が世に出ることになった。
これもまた若くて怖いもの知らずだった磯田氏ならではの、武勇伝と言っていい画期的な出来事だった。

そのことが後々の世にまで語り継がれて、2017年には完全復刻されるほどの伝説になっていく。

<参照コラム>初来日を果たしたサンタナを横尾忠則と引き合わせたディレクターの直感 http://www.tapthepop.net/live/50789


磯田氏はその後、邦楽ディレクターとしての2年間でセンチメンタル・シティ・ロマンス、四人囃子のアルバムを制作した後にキティ・ミュージックに移った。
そして音楽のみならず、映画や書籍などのプロデューサーとして、八面六臂の活躍を繰り広げていく。

「きっかけ屋アナーキー伝」はどのページを開いても面白いし、爽快な話が多いのだが、そうではない入社式におけるシビアなエピソードも印象に残った。
自由闊達なイメージがあったCBSソニーだったが、創立から10数年間で日本一のレコード会社になった背景には、優秀な企業戦士にならなければ社員としては通用しないという、厳しい側面もあったことが伝わってきたのだ。

「何をたるんでいるんだきみたちは。嫌ならこの場で辞めてもらって結構だ。すぐ出ていきなさい 」
入社式の会場に盛田昭夫社長の声が響いた。出社第1日目に遅刻した同期の豪傑が何名かいたからだ。会場は凍りついたがその場を去る者はひとりもいなかった。
入社おめでとうという祝辞の代わりに「新入社員はなにも仕事ができない穀潰しのようなものだ。会社というのは運命共同体。一日もはやく先輩たちを見習って一緒にCBS・ソニーという船の優秀な漕ぎてになってもらいたい 」と活を入れられた。


磯田氏は初任給3万5000円、渉外手当7000円という値を付けられて、社会人としてのスタートをきった。
そもそも学生時代はジャズのファンで、特にフリージャズに関心をもっていた。
したがってロックにも、ヴォーカルものにも、正直にいえば大して興味がなかったと述べている。

だが生涯で5回だけ、5人のアーティストのヴォーカルに衝撃を受けたという話には、なるほどと納得がいくものがあった。

過去の4回の衝撃は、渋谷のジァンジァンで見たフォ ーク ・グループ、初期のRCサクセションの忌野清志郎。アマチュアロック・コンサートに登場したデビュー直前のサザン・オールスターズの桑田佳祐。八王子の野外ロック・フェスで度肝を抜かれた憂歌団の木村充揮。渋谷公会堂のデビュー・コンサートで歌の入り方を間違えてあっけらかんと「もとい!」と歌い直した矢野顕子。


以上の4人が「この人天才!」と一声で思わせた、ヴォーカリストの四天王だったという。
そして5人目の衝撃がジャズ・シンガーでいて、ステージがやたらと面白かった綾戸智恵だ。

磯田氏はそこからエンターテイナーの資質を見抜いて、彼女のことを「40歳の関西のオバハン歌手」として、勝手に宣伝マンとなって売り出していった。
今となってみれば、その話もしごく合点がいくものだった。

読み終えた途端に早く続きを読みたいと思ってしまったのは、読みやすい電子書籍だったからかもしれない。




磯田秀人『きっかけ屋アナーキー伝: 昭和♡平成企画屋稼業♡ジャズもロックも本も映画も』
株式会社ピンポイント

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