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昭和を駆け抜けた大スターの歌の原点にあったチェット・ベイカーへのリスペクト~「石原裕次郎 昭和太陽伝」

2019.07.17

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映画界にデビューして大スターになる前から、石原裕次郎は“クールジャズの象徴”と言われたトランペット奏者、チェット・ベイカーを愛聴していた。
日本では発売されていなかったレコードも、アメリカから輸入盤をとりよせて、ほとんどすべてを持っていたという。

そしてとくに歌手として多大な影響を受けたのが、『チェット・ベイカー・シングス』というレコードだったと述べていた。

2019年7月17日は石原裕次郎の三十三回忌にあたるが、それに合わせて出版される評伝「石原裕次郎 昭和太陽伝」には、チェット・ベイカーのレコードにまつわるエピソードが紹介されている。



著者の佐藤利明は石原裕次郎邸を訪ねた際に、まき子夫人に二階の「プレイルーム」に案内してもらった。

キャビネットには、裕次郎が愛聴した様々なLPレコードがあった。なかでも目を引いたのがチェット・ ベイカーのアルバム。一九五〇年代から断続的ではあるが一九八〇年代にかけて、ヴォーカリストとしても活躍したウエスト・コースト・ジャズのトランペッター。囁くような歌 声は「ウィスパー・ヴォイス」として、今でも人気がある。 チェット・ベイカーの代表作「チェット・ベイカー・シングス」(一九五四年)を裕次郎のキャビネットで見つけたとき、裕次郎の歌声の秘密を理解できたような気がした。


高校から大学にかけての頃、石原裕次郎は米軍極東放送のFEN(ファーイーストネットワーク)で、いつもジャズを聴きながら試験勉強をしていた。
その時に流れてきたのチェット・ベイカーだった。

トランペットとを吹くのと同じフィーリングで、しかも男か女かが判別しにくい歌声で、囁くように唄っているところに惹かれたという。



音感とリズム感が抜群だった石原裕次郎は、譜面こそ読めなかったが歌は得意だった。
若い頃には多くの主演作で映画主題歌を吹き込んでいるが、日活撮影所のダビングルームで二、三度唄うだけですぐにOKが出ていたという。

その後、映画が斜陽になって活躍の場をテレビに移した石原裕次郎は、『太陽にほえろ!』や『大都会』、『西部警察』といった人気シリーズを世に送り出した。

それとともに歌手としての活動も本格化し、アルバムづくりや全国ツアーにも力を入れていった。
やがてムード歌謡の第一人者として多くのヒット曲を出しているが、テイチクスタジオでレコー ディングを行っていても、オーケストラに合わせて軽く二、三回唄えばそれでOKになった。

まったくの新曲でも、成城の自宅からスタジオのあった杉並区・堀之内まで、ガイド・ヴォーカルを入れたテープを車の中で何度か聴いてくるだけで、そのまま本番に臨んでいたという。

『西部警察』のシリーズで共演した舘ひろしが、石原裕次郎の歌声の魅力についてこう語っている。

小さな、囁くような声で唄うんですが、それでいてピッ チが揺れない。あの唱法は裕次郎さんだけのものです。僕も語るように唄うことを心がけて歌いましたが、届かないですね。




ところで晩年は不遇な状況に置かれてしまったチェット・ベイカーだが、石原裕次郎は”チェット・ベイカーに捧げる”と題して、バラードを主体とするジャズ・ヴォーカル・アルバムの『ノスタルジア』を1974年に発表している。
 
このアルバムは2年間もの時間をかけて企画した念願の作品で、1974年8月30日にロサンゼルスのRCAスタジオでレコーディング・セッションが行われた。
取り上げた楽曲は映画の主題歌や挿入歌を中心に、スタンダード曲から選ばれている。

編曲指揮はベニー・カーター、監修はオリヴァー・ネルソン、ドラムスのシェリー・マンをはじめ、参加ミュージシャンも錚々たるジャズの名手たちだった。

日本が生んだ不世出の映画スターだった石原裕次郎の歌の原点には、常にチェット・ベイカーへのリスペクトがあったのである。


        



<参考文献> 石原プロモーション監修、佐藤利明著「石原裕次郎 昭和太陽伝」(アルファベータブックス)。なお本文に引用した文章はいずれも同書によるものです。https://ab-books.hondana.jp/book/b457737.html


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