「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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「お願いだ聞いておくれ」と高田渡が訴えた、鉱夫たちの“声なき叫び”

「鉱夫の祈り」を聞いたのは1972年の夏だったか、あるいは73年だったのか、いずれにしてもアルバム『系図』が出てから、そんなに時間が経っていない頃のことだった。…

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無名だった三上寛が大観衆の喝采を浴びた「夢は夜ひらく」~第3回全日本フォークジャンボリー

岐阜県の椛の湖(はなのこ)の湖畔で開催された第3回全日本フォークジャンボリーは、1971年8月7日の昼から9日未明まで行われた。 そのなかで後世に語り継がれたの…

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「人間なんて」をマイク無しで歌って伝説になった吉田拓郎~第3回全日本フォークジャンボリー

フォーク歌手と言われた吉田拓郎だが、実は彼の音楽の大根(おおね)のところにあったのは、黒人音楽のリズム・アンド・ブルースだ。 高校時代から広島フォーク村で一緒の…

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岡林信康の「山谷ブルース」を聞いた板前見習いの若者が起こした行動

1960年代の半ば過ぎから後期にかけて、日本でもフォーク・ムーブメントという現象が起こった。 ギターを弾いていくつかのコードさえ押さえられれば、自分の言葉を綴っ…

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井上陽水の「傘がない」にあったのは、「カ」「サ」「ガ」「タ」「ダ」から生まれる切迫感と叙情だった

井上陽水の初期の代表曲「傘がない」はシングル・カットされたが、当時はヒット曲にならなかった。 しかし、聴いた人たちには軽い衝撃を与えた。 いや、それを重い一撃だ…

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変な歌や訳がわからない歌の代表格、あがた森魚の「赤色エレジー」

どういうわけか”変な歌”や訳がわからない歌が、突如として流行するということが、昭和の時代にはしばしば起こった。 訳が分からないのに忘れられない、妙に印象に残って…

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細野晴臣プロデュースの「ホルモン小唄」、大瀧詠一が仮歌を吹き込んだのにオクラ入りした理由

1976年の11月から12月にかけて、東京・赤坂にあるクラウン・スタジオでは小林旭のアルバムが制作中だった。 同じレコード会社に所属していた縁もあって、細野晴臣…

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ザ・タイガースの「花の首飾り」が生まれるきっかけとなったビージーズの「ホリディ」

GSのザ・タイガースがリリースしたシングル盤のうち、最も多く売れたのは1968年に発売された「銀河のロマンス/花の首飾り」だ。 当初はB面曲の扱いだった「花の首…

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多様な文化が混じりあったアメリカ南部のソウルフードとドクター・ジョンの名曲「ガンボ」の関係

ガンボという料理はアメリカ合衆国南部のメキシコ湾岸一帯に広く浸透しているが、ニューオーリンズなどではライブやお祭りの屋台には必ず登場するソウルフードだ。 だしの…

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GSの「トンネル天国」とボ・ガンボスの「トンネルぬけて」をつないだ村八分

ボ・ガンボスを結成することになる前のどんとは、京都が生んだ伝説的なロックバンド、村八分に歌い方も詩も全部が染まったという時期があったという。 村八分との出会いに…

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1970年に北米をツアーで回った加藤和彦の体験から生まれた「あの素晴しい愛をもう一度」

1年間だけという約束でメジャー・デビューしたザ・フォーク・クルセダースは、約束通りデビューから1年後の1968年10月に解散した。 北山修は京都で医学生の生活に…

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ホウキがギターに早変わり、ジミとエルヴィス、坂本九と忌野清志郎をつなぐ歌 

教室でホウキがギターに早変わりする、そんな伝統を始めた少年たちや、それを受け継いだ少年の話を紹介したい。 エレキギターに革命を起こしたジミ・ヘンドリックスは、8…

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