「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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先輩格のかまやつひろしのために吉田拓郎が書き下ろしてくれた「我が良き友よ」

かまやつひろしは1970年代の前半、原宿の「ペニーレーン」や六本木の飲み屋などで、吉田拓郎とよく顔を合わせていたという。 当時の拓郎はフォークやロック、歌謡曲と…

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「群青色の朝」と「鈍色の雨」という言葉で始まった日本語のロック~はちみつぱい「塀の上で」

2000年夏、”5人で歌う、5人の“ビューティフル・ソングス”というキャッチコピーがついたコンサート、「Beautiful Songs(ビューティフル・ソングス…

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中島みゆきの「糸」をスタンダードにしたのは、逢うべき歌とめぐり逢えて「仕合わせ」を感じた人たちだった

その歌は1992年に発売された中島みゆきの通算20作目にあたるアルバム、『EAST ASIA』にさりげなく収められていた。 発表からすでに24年、干支でいえばふ…

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「帰って来たヨッパライ」と「コブのない駱駝」に託されていた北山修と加藤和彦からのメッセージ

加藤和彦が2009年10月に亡くなった後、きたやまおさむは「もう音楽をやめてしまおう」と思っていた時期があったという。 しかしザ・フォーク・クルセダーズの曲をレ…

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勝手に売れたわけではなかったサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」②

激動の60年代後半から70年代にかけてはまだベトナム反戦運動や反体制の学園紛争の名残が残っていて、ロックバンドやフォークシンガーたちは、個と個のつながりが感じら…

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「プカプカ」のモデルとなったのは激動の時代を駆け抜けたジャズ・シンガーの安田南だった

写真・井出情児 その昔、安田南というジャズ・シンガーがいた。 1960年代の前半から米軍キャンプなどで歌うにようなったが、一時は俳優座養成所に籍をおいていたこと…

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『ミート・ザ・ビートルズ』を聴いたかまやつひろしが確信した近未来、そこから生まれたスパイダースの「フリフリ」

それは1964年のことだった。 皇居脇にあった日比谷の三信ビル1階に、洒落たハンドバックなどのファッション小物やアクセサリー、輸入雑貨類など売ってるショップがあ…

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いろいろな替え歌にカヴァーされてスタンダードになった「世界の国からこんにちは」

「万国博テーマソング 軽快な曲できる」 3年後に大阪で開催される日本万国博覧会を盛り上げるために、一般公募によって作られた歌の完成を報じたのは1967(昭和42…

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「過去、一度たりとて音楽を制作する側がヒットを作ったことなんてないんだ」~大瀧詠一

”歌謡曲の生みの親”と目されている作曲家の中山晋平と、”最高のポップス職人”を目指して生涯を全うした大瀧詠一が、実は同じ命日だったということに最近気がついた。 …

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歌謡曲のさきがけとなった「カチューシャの唄」と、井上陽水の「夢の中へ」をつなぐもの

日本の歌謡曲のさきがけとも、第1号ともいわれる「カチューシャの唄」が誕生したのは1914(大正3)年のことだ。 大正ロマンという文化のムーブメントを背景にこの歌…

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「レッキング・クルー」①~モンキーズの音楽を支えていた腕利きのスタジオ・ミュージシャンたち

その演奏は誰もが聴いて知っているのに、名前はほとんど知られてはいない‥‥。 そんな腕利きのスタジオ・ミュージシャンたちが、1960年代から70年代にかけてアメリ…

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ニュースが不況を喋い、ジングルベルに街がうき足だった夜~甲斐バンド「かりそめのスウィング」

ビート・ジェネレーション以降のアメリカを代表する作家のチャールズ・ブコウスキーの「Charlie, I’m pregnant(チャーリー、私は妊娠している)」と…

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