「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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中村八大の「明日があるさ」と、宮川泰の「若いってすばらしい」は兄と妹のような関係

明るい明日がやって来ることを疑わずにいることができた1963年の師走から翌年にかけて、おおらかな青春賛歌の「明日があるさ」がヒットした。 昭和の時代が1960年…

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2014年になって日本でも聴くことができるようになったモップスの「ブラインド・バード」

1967年11月5日に「朝まで待てない」でデビューしたザ・モップスは、日本で最初にサイケデリック・サウンドを打ち出したバンドだ。 モップスはは1980年代になっ…

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第1回日本レコード大賞を逃したエロティックな歌謡曲「黄色いさくらんぼ」

美空ひばり、都はるみ、北島三郎、五木ひろしなどの代表曲を書いた作詞家の星野哲郎は、「演歌の父」とも言える存在だったが、最初の大ヒット曲は少しエロティックなポップ…

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画期的なカップヌードルの誕生、画期的なCMソングを書いた阿久悠と小林亜星

1971年に売出しが予定されていた世界初のカップラーメン、日清食品の「カップヌードル」のCMソングの依頼が来た時、作曲家の小林亜星は「阿久悠という斬新な詞を書く…

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あみんの素朴な”うたごごろ”が光る「待つわ」を大ヒット曲に仕上げたアレンジャーの萩田光雄

あみんは岡村孝子と加藤晴子という現役女子大生によるデュオだったが、1982年の第23回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)に出場するため、岡村が作…

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映画『アメリカン・グラフィティ』のラストシーンから日本につながっていた「夏のクラクション」

コピーライターだった売野雅勇が作詞の仕事を始めたのは1981年からだが、その翌年に中森明菜の「少女A」が大ヒットして脚光を浴びた。 1984年には作曲家の芹澤廣…

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小沢健二の言葉から気づかされる歌と音楽の力、レコードやCDの匂い、そして音楽の記憶

1968年生まれの小沢健二はドイツ文学者の父、心理学者の母をもち、クラシックのレコードと並んでビートルズのボックスがある、そんな音楽環境の家庭に育った。 父親の…

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野心的な作品が大ヒットしたことで方向性がひとつに定まったグループ・サウンズ

テンプターズのヴォーカリストのショーケンは17歳の若さだったにもかかわらず、デビューする前からすでに表現者として直感と強い意志を持っていた。 だからデビュー曲に…

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「ゲッティング・ベター」~他のバンドと圧倒的に違っているビートルズならではのコンビネーション

ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』には、トリップ・ミュージックの代表作ともいわれる「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウ…

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50年の歳月を経て新しく生まれ変わった『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』

1967年6月1日、ザ・ビートルズは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表、イギリスのアルバム・チャートでは27週にわたって1位の座…

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ビートルズとストーンズに最も近かったのが1967年のザ・テンプターズ

「カッコいい」「あこがれ」「美少年」 「自意識」「純粋さ」「反骨精神」「スタイリッシュな生き方」‥‥ グループ・サウンズ(GS)は1967年から68年にかけて、…

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『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』で最初にレコーディングされたポール・マッカトニーの曲

1967年に発表されたビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に収録されている「ホェン・アイム・シックスティー・フォー」…

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