「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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「プカプカ」のモデルとなったのは激動の時代を駆け抜けたジャズ・シンガーの安田南だった

写真・井出情児 その昔、安田南というジャズ・シンガーがいた。 1960年代の前半から米軍キャンプなどで歌うにようなったが、一時は俳優座養成所に籍をおいていたこと…

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『ミート・ザ・ビートルズ』を聴いたかまやつひろしが確信した近未来、そこから生まれたスパイダースの「フリフリ」

それは1964年のことだった。 皇居脇にあった日比谷の三信ビル1階に、洒落たハンドバックなどのファッション小物やアクセサリー、輸入雑貨類など売ってるショップがあ…

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いろいろな替え歌にカヴァーされてスタンダードになった「世界の国からこんにちは」

「万国博テーマソング 軽快な曲できる」 3年後に大阪で開催される日本万国博覧会を盛り上げるために、一般公募によって作られた歌の完成を報じたのは1967(昭和42…

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「過去、一度たりとて音楽を制作する側がヒットを作ったことなんてないんだ」~大瀧詠一

”歌謡曲の生みの親”と目されている作曲家の中山晋平と、”最高のポップス職人”を目指して生涯を全うした大瀧詠一が、実は同じ命日だったということに最近気がついた。 …

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歌謡曲のさきがけとなった「カチューシャの唄」と、井上陽水の「夢の中へ」をつなぐもの

日本の歌謡曲のさきがけとも、第1号ともいわれる「カチューシャの唄」が誕生したのは1914(大正3)年のことだ。 大正ロマンという文化のムーブメントを背景にこの歌…

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「レッキング・クルー」①~モンキーズの音楽を支えていた腕利きのスタジオ・ミュージシャンたち

その演奏は誰もが聴いて知っているのに、名前はほとんど知られてはいない‥‥。 そんな腕利きのスタジオ・ミュージシャンたちが、1960年代から70年代にかけてアメリ…

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ニュースが不況を喋い、ジングルベルに街がうき足だった夜~甲斐バンド「かりそめのスウィング」

ビート・ジェネレーション以降のアメリカを代表する作家のチャールズ・ブコウスキーの「Charlie, I’m pregnant(チャーリー、私は妊娠している)」と…

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15年の歳月を経て完成した映像、スーパージャンキーモンキー「We’re the Mother(私たちはこの世界の母親)」

スーパージャンキーモンキーの「WE’RE THE MOTHER」には、時代を超えて現在を撃つ根源的なメッセージが込められていた。 古さを感じさせない哲学的ライム…

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ビートルズが『ジューク・ボックス・ジュリー』で「HIT」のカードを上げた曲「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」

イギリスBBCの音楽番組『ジュークボックス・ジュリー』は、発売される新曲を聴いて審査員が評価するという内容で、新曲がヒットするかどうかをジュークボックスで聴いて…

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「阿久悠は新時代の旗手になる!」と、ひとりの新聞記者の心を昂らせた歌

目立たない新人歌手だった北原ミレイのレコードを試聴していたスポーツニッポンの音楽記者、小西良太郎は歌い出しから驚き、最後まで聴き終わると小躍りするほどに心が昂っ…

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サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」をエレクトリック・ヴァージョンにするアイデア

アメリカの若き大統領、ジョン・F・ケネディーがテキサス州ダラスの街をパレードしている時に射殺されたのは1963年11月22日だった。 この事件に大きなショックを…

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「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」で結実した二人の才能~ミック・ジャガーとキース・リチャーズ

熱心なR&Bファンから出発したキース・リチャーズは、まずギターをコピーして自分のものにすることから音楽の道に入った。 だから表現者としての自覚が芽生え…

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