「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

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アメリカ修行中に恩師の力道山が刺されて死んだという知らせを受け取ったジャイアント馬場の孤独を癒やした歌

ジャイアント馬場が力道山の死を聞かされたのは、1963年の12月の中旬のことだった。 アメリカに長期滞在して2度目の武者修行中だった馬場は、その頃からテロの恐怖…

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追悼・橋本治~仮面をつけることを知らない山口百恵によって「ひと夏の経験」で表明されたもの

1974年の夏に「ひと夏の経験」が発表されると、オリコンのチャートでは最高3位になり、デビュー1年目にして山口百恵にとって最大のヒットとなった。 その一方で「歌…

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ジョージ・マーティンにプロデュースを断られたことから始まった、ビリー・ジョエルの快進撃

1949年5月9日にニューヨークのブロンクスに生まれたビリー・ジョエルは、ピアニストでもあったドイツ系ユダヤ人の父親の影響から、4才でピアノを習い始めてクラシッ…

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青山ミチの「叱らないで」から生れた藤圭子のデビュー曲「新宿の女」

青山ミチという歌手がいた。 アメリカの影を背負った生まれで、才能はあったが不器用で、行動が危なっかしい少女歌手だった。 わずか13歳で和製ポップスでデビューした…

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追悼・青山ミチ~「亜麻色の髪の乙女」としてよみがえった「風吹く丘で」

2017年2月8日の朝、音楽評論家で作詞家でもある湯川れい子さんが、自身のツイッターでこうつぶやいた。 今から青山葬儀場で、石坂敬一さんのお別れ会です。そこに今…

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19歳の山口百恵が「私自身に近いところで歌が呼吸していた」と書いた「プレイバックPartⅡ」

山口百恵が所属するホリプロダクションの傘下にある音楽制作会社、東京音楽出版の原盤制作ディレクターとして、モップスや井上陽水を手がけていた川瀬泰雄が新たにスタッフ…

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引退する山口百恵に提供された「Crazy Love」と、井上陽水がカヴァーしたポール・アンカの「クレイジーラブ」

山口百恵は人気絶頂だった1979年に自分の強い意志で引退を決意すると、芸能界には一切の未練を残さず、市井の生活者として静かに生きていく道を選んだ。 1980年1…

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「ちっぽけな感傷」から見えてきた山口百恵がロックを受けとめる能力

1974年に「ひと夏の経験」が発表されると、過激な歌詞に対するマスメディアからの批判がふたたび激しさを増した。 しかし15歳になった山口百恵はキワモノだと見下さ…

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歌手としての人生が変わっていくきっかけになった山口百恵と「涙のシークレットラヴ」の出会い

1976年の夏に大ヒットした山口百恵の「横須賀ストーリー」は、もともとは、4月に出す予定のアルバム『17才のテーマ』のために作られた楽曲だという。 しかし素晴ら…

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16歳にしてひとつの到達点にまで至った山口百恵のバラード「冬の色」

1974年の夏に「ひと夏の経験」が大ヒットしてからの山口百恵は、歌手としてだけではなく芸能活動全般において、あきらかに勢いがついてきた。 9月に新曲の「ちっぽけ…

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寺山修司が世に出した”ふたりのマキ”①浅川マキの世界「かもめ」

浅川マキが2010年に突然のように亡くなった後、音楽プロデューサーの寺本幸司はCDのライナーノーツでこう述べている。 蠍(さそり)座で、寺山修司構成演出で、浅川…

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フォスターが書いたアメリカに伝わる究極の哀歌が21世紀になって歌われ始めたのは何故か?

ここ最近になって世界でも日本でも、さまざまなシンガーによって歌われているのが、「ハード・タイムス(Hard Times Comes Again No More)…

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