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サンタナが受け継いたラテン・ロックの源流、リッチー・ヴァレンス

2017.03.21

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1969年のウッドストック・フェスティバルで、彗星のごとく現れたギタリスト、カルロス・サンタナ。
ブルースとラテンを融合させた音楽で人気を博し、その後にリリースされた自身のバンド、サンタナのアルバムは立て続けに大ヒット、唯一無二の地位を確立した。

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2010年にアメリカのラジオ番組で、最初の2枚のアルバムが多種多様な20世紀後半のアメリカ文化で果たした役割について尋ねられたサンタナは、自分の音楽に宿っているミュージシャンたちの存在を明らかにした。

「その質問をしてくれてありがとう。
初期のサンタナはリッチー・ヴァレンスであり、ホセ・フェリシアーノだったんだ」


サンタナが生まれたのは1947年7月20日。
生まれたのはメキシコの中部に位置するアウトラン・デ・ナヴァロという町だ。
マリアッチと呼ばれるメキシコの楽団でヴァイオリン奏者をしていた父親の方針で、サンタナは5歳のときからヴァイオリンを習い始めた。

ほどなくして家族はカリフォルニア州に隣接する国境付近の町、ティファナに移住するのだが、そこで最初のロックンロール体験があったという。サンタナが8歳の頃だ。

「母に連れられて公園に行ったんだけど、そこで初めてロックンロールのバンドを見たんだ。ハビエル・バティスをね」


サンタナはそのギターの音にすっかり魅せられ、これをきっかけにヴァイオリンからギターに楽器を持ち替えたという。
そんなギター少年、サンタナのヒーローとなったのがブルースの大御所、B.B.キング、そしてヒスパニック系で初のロックンロール・スター、リッチー・ヴァレンスだった。

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リッチーの本名はリチャード・スティーヴン・ヴァレンズエラ。
生まれはロサンゼルス近郊のパコイマという町だが、その体にはメキシコ人の血が流れている。
メキシコの伝統的なマリアッチだけでなく、アメリカのR&Bやフラメンコなど幅広いジャンルの音楽を聴いて育ったリッチーは、ギターからドラム、トランペットまで鳴らせるという多才ぶりを発揮した。
1958年、その才能を買われてわずか17歳でレコード会社と契約を果たすと、2ndシングル「ドンナ」が全米チャート2位という大ヒットとなる。瞬く間にスターとなったリッチーは、まさにシンデレラボーイだった。



ところがその輝かしいキャリアは、デビューから1年もしないうちに幕が閉じる。
バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、J.P.”ビッグ・ボッパー” リチャードソンという3人のロックンロール・スターを乗せた小型飛行機が墜落し、パイロットを含む4人全員の命が失われたのだ。(のちにドン・マクリーンが、この悲劇を題材に「アメリカン・パイ」という曲を作り大ヒットさせている

享年17歳、生前にリリースされたシングルはわずか2枚と、その生涯はあまりにも短すぎたが、それでも後世への影響は計り知れないほど大きい。
中でもリッチーの死後にヒットして代表曲となった「ラ・バンバ」は、メキシコの民謡をロックにアレンジしたもので、ラテン・ロックの先駆けとなった歴史的な1曲である。
今や聴いたことがない人はいないと言っていいほど幅広く親しまれている。



リッチーはヒスパニックやメキシコ人でもアメリカでスターになることができることを、そしてラテンが世界に通用することを証明し、サンタナら後世のミュージシャンたちにその道を示すのだった。


1987年に公開されたリッチー・ヴァレンスの伝記映画『ラ・バンバ』では、サンタナがその音響監督を務めている。(詳しくはコチラ


♪サンタナとロス・ロンリー・ボーイズによる「ラ・バンバ」のカバー

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