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ベックを音楽の世界へと導いたアメリカン・ルーツの巨人たち

2024.04.05

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1970年生まれのベックが、初めて本気で好きになった音楽は、幼い頃に聴いたローリング・ストーンズの「ルビー・チューズデイ」だった。

「彼らのことは何も知らなかったけどね。イギリス人だってことすらも。気に入ったのはあの曲の、あのシンプルなメロディそのものだったんだ」


他にもビートルズの『ラバー・ソウル』など、60年代のロックに興味を示していたベックだが、リアルタイムで流行している音楽に対しては、ほとんど関心を持たなかった。

特に80年代に入って、シンセサイザーやリズムマシンといった人工的なサウンドが幅を利かせるようになってからは、その傾向がより顕著になる。

メインストリームの音楽をよそ目にベックは、ソニック・ユースのようなノイズパンクやヒップホップ、ラテンなど、多岐にわたる音楽を聴いて育つのだった。

そんなベックにギターを手に取るきっかけを与えたのがカントリー・ブルースの巨人、ミシシッピ・ジョン・ハートだ。

「ミシシッピ・ジョン・ハートやウディ・ガスリーのようなミュージシャンを知るまでの僕は、音楽を作ろうという気持ちにさえなれなかった」


初めてレコードを聴いたのは10代半ばの頃、インタビューによって差異があるため正確な時期と場所は特定できないが、レコードのジャケットに大きく載せられた、皺だらけで汗ばんだ顔に引き込まれたという。

1892年生まれのミシシッピ・ジョン・ハートは、36歳のときにレコード・デビューするも、残念ながら商業的な成功を得ることができず、故郷で小作農をするかたわら、地元のパーティやクラブで演奏する日々を送っていた。

表舞台から姿を消していたミシシッピ・ジョン・ハートが再発見されたのは、それから30年以上が過ぎた1963年のことだ。

すでに70歳を過ぎていたが、ニューポート・フォーク・フェスティバルに出演したりアルバムをリリースするなど、1966年に亡くなるまでの残り3年間を精力的に活動した。

ベックはそんなミシシッピ・ジョン・ハートの魅力について、このように言及している。

「物憂げなサウンドやオープン・チューニング、スカスカのビートにダウン・トーン。そんなのが気に入ってね。それに、彼の声の何と豊かなことか。散々苦労した結果が、ああいう驚異的なものになって表れたんだろう」



ミシシッピ・ジョン・ハートの音楽と出会ったのをきっかけに、ベックは古い時代のブルースやフォーク、カントリーの中から自分の心に響くミュージシャンを次々と開拓していく。

はじめて買ったギターは、ウディ・ガスリーが使っていたのと同じモデルのギブソンだった。

「6ヶ月というもの、僕は何をするのもやめて、部屋にこもってフィンガー・ピッキングでギターをつま弾いていたよ。ちゃんとできるまで」


このときにベックが身につけたフィンガー・ピッキングは、ミシシッピ・ジョン・ハートのトリビュート・アルバム、『アヴァロン・ブルース』の中で聴くことができる。


そしてサン・ハウスのギターを聴いたときに、とあるアイデアを思いついたのだという。

「サン・ハウスが1人でスライド・ギターを弾いていても、彼が弾くと必ずヒップホップのビートが感じられる。いつかこれで実験してみたらすごいだろうなと思ったのを、今も覚えているよ。みんなつながっているんだよね」



ロックやヒップホップ、ソウル、ブルース、フォーク、カントリーなど様々なジャンルの音楽を、独自の感性でミックスしてきたベックだが、その最初のインスピレーションが舞い降りた瞬間だった。

ベックがブレイクするきっかけとなった初期の大ヒット曲「ルーザー」は、スライド・ギターとヒップホップを掛け合わせるというアイデアが結実した1曲だ。



参考文献:
『ベック/源流への旅』ロブ・ジョヴァノヴィック著/染谷和美訳(シンコー・ミュージック)



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