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ジャズ一筋だったウォルター・ベッカーに新たな音楽の可能性を見せたボブ・ディラン

2017.09.19

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スティーリー・ダンの2人は筋金入りのジャズファンだ。
ウォルター・ベッカーは自身が10代だった頃の価値観について、このように語っている。

「ロックンロールなんて音楽じゃないとまで思っていて、自分はジャズしか聴かないと心に決めていた」


1950年の2月20日、ニューヨークのクイーンズ区に生まれたウォルター・ベッカー。
イギリス人の母はベッカーが幼い頃に離婚して母国へと帰り、ベッカーは父と祖父の2人によって育てられた。

そんなベッカーを夢中にさせたのが、ラジオから流れてくるジャズだ。
1950年代後半、世間ではエルヴィス・プレスリーを筆頭にロックンロールが大流行していたが、一方ではジャズもまた黄金期を迎えていた。
中でもお気に入りだったのはマイルス・デイビスやジョン・コルトレーン、そして1940年代後半に活躍し、“モダンジャズの父”と称されるアルトサックス奏者、チャーリー・パーカーだった。



彼らの音楽に憧れてサックスを手に入れたベッカーだったが、その腕前は中々伸びなかった。というのも、父が家にいるときは練習させてもらえなかったのだという。

「マンハッタンのアパート暮らしで、僕の子供部屋のすぐ隣には父親の寝室があったんだから無理もないよ」


それでもベッカーはひたすらジャズに打ち込み続け、ビートルズがアメリカに上陸して一大旋風を巻き起こしても、その姿勢が変わることはなかった。
しかしボブ・ディランが1965年にリリースしたアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』との出会いにより、その価値観は大きく変えられる。

「ディランの感性、歌詞、音楽すべてに衝撃を受けた。
これこそポップ音楽の新しい可能性だと思ったとたん、ジャズ以外のものを聴けるようになったんだ」




『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』はディランが初めてロック・バンドをバックに歌った、いわばフォーク・ロックの走りともいえる作品だ。
サウンド面での大きな変化は厳格なフォーク・ファンから裏切りと捉えられ、ステージでは激しいブーイングを浴びせられることもあった。
しかし、ひとつのジャンルやスタイルにとらわれないディランの感性は、ジャズにしか意識が向いていなかった一人の少年に新たな世界を見せるのだった。

ベッカーは一向に上達する見込みのないサックスを置き、ギターとベースを練習しはじめる。
そして1967年の秋、バード大学に入学したベッカーが部室でギターを弾いていると、その音に惹かれて一人の学生がやってきた。
ドナルド・フェイゲン。彼もまたベッカーと同様にジャズを聴いて育った青年だ。
2人は意気投合して、一緒に曲を作り始めるのだった。

1972年、2人はスティーリー・ダンを結成してレコード・デビューを果たす。
そのアルバムタイトルは『キャント・バイ・ア・スリル』。ディランが『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』に続いてリリースしたアルバム、『追悼のハイウェイ61』に収録されている「悲しみは果てしなく」の歌詞からとって付けられたものだ。

ロックやジャズ、ラテンなど様々な音楽のエッセンスが詰め込まれた、一つのジャンルに捉えられないスティーリー・ダンの音楽は、時代に新たな風を吹かせるのだった。



スティーリー・ダン 『キャント・バイ・ア・スリル』
Universal


参考文献:
『THE DIG Special Edition スティーリー・ダン』(シンコーミュージック)

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