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マムフォード・アンド・サンズに宿る多様性とマーカス・マムフォードが幼少期に聴いていた音楽

2018.09.25

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EDM(エレクトリック・ダンス・ミュージック)が全米チャートを席巻していた2009年。
マムフォード・アンド・サンズがリリースしたデビュー・アルバム『サイ・ノー・モア』は、アコースティックを全面に押し出したロックで、EDMに対するカウンター・カルチャーのひとつと捉えられ、全世界的なヒットとなった。
2011年度のグラミー賞にノミネートされたのも当然の結果だった。



グラミー賞授賞式の少し前、バンドの中心人物であるマーカス・マムフォードは、カリフォルニアで友人らとともに束の間の休暇を過ごしていた。イギリス育ちのマーカスだが、生後半年だけカリフォルニアで暮らしていたことがある。

毎晩のように友人らと音楽を聴いて楽しみ、“その日”はみんなでボブ・ディランを聴いていた。
するとマーカスの電話が鳴った。マネージャーからである。
電話の内容はグラミー賞の授賞式におけるパフォーマンスについてで、バンドメンバーもファンであるブルーグラス・バンド、アヴェット・ブラザーズとの共演についてだった。
その内容に喜ぶマーカスだったが、マネージャーはさらにもうひとり共演するアーティストの名前を上げた。

「音楽の伝説、ボブ・ディランだ」

そのときの興奮を、マーカスはローリング・ストーン誌でこのように話している。

「僕はベッドから飛び出て外に走り出し、狂人のように飛び跳ねたよ!
もしディランがいなかったら音楽をやっていなかったであろう人間が、どんな反応をするのか想像してごらんよ」


ディランがいなかったら音楽をやっていなかったというマーカス。
彼とディランの音楽との出会いは幼少時代に遡る。

マーカスの両親はとても熱心なキリスト教徒で、カリフォルニアからロンドン南西部のウィンブルドンに移住してからは福音派の団体を立ち上げている。
そのためか家にはあまり娯楽がなく、母親の持っているレコードといえばボブ・ディランの『血の轍』と、福音派に改宗していたときに出したアルバム『スロー・トレイン・カミング』、あとはカウント・ベイシーくらいのものであった。



マーカスは10代になるとジャズバンドでドラムを叩く一方、ディランやジャズ以外にも、ザ・バンドやブルース・スプリングスティーンなどにも夢中になった。
大学受験では兄と同じオックスフォード大学を目指して努力するも落ちてしまい、失意から立ち直ってからはより一層音楽に打ち込むようになる。
そうして20歳のときに結成したのがマムフォード・アンド・サンズだった。

マムフォード・アンド・サンズは様々なジャンルを取り込みつつも、アコースティックを主体に独自のスタイルを見事に確立していった。

しかし2015年にリリースした3枚目のアルバム『ワイルダー・マインド』ではエレクトリックを取り入れ、大胆な変貌を試みている。それはディランがエレクトリックを取り入れて賛否両論を巻き起こした名盤『追憶のハイウェイ61』からちょうど50年後のことだ。



幼少期のマーカスが聴いていたディランとジャズという2つの音楽。
ディランはフォークという枠組みや形式にとらわれず、エレクトリックを取り入れ、その後もカントリーやゴスペルなど幅広いジャンルにも挑んだ。
一方のジャズもまた常に変化を求め、様々なジャンルを取り込んで自由に“クック”することに長けた音楽だ。

マムフォード・アンド・サンズの音楽に宿る多様性とバランス感覚、それはマーカスが幼少期に聴いていた音楽によって培われたのかもしれない。


Mumford & Sons『Wilder Mind』
Universal

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