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伝説のライブハウス「CBGB」のNYパンクス〜ジョニー・サンダース/ラモーンズほか

2018.10.31

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「TAP the COLOR」連載第297回〜PINK〜

1973年、ニューヨークのバワリー315番地に、「CBGB」という名のライブハウスがオープンした。店の名前は「Country, Blue Grass, and Blues」の略称。オーナーのヒリー・クリスタルは出演するバンドに当初「演奏する曲は全てオリジナル」というルールを課した。
次第にここは無名のバンドたちが毎晩のように登場。テレヴィジョン、ラモーンズ、パティ・スミス、トーキング・ヘッズ、ブロンディ、ジョニー・サンダース&ハートブレイカーズ、リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズといった、パンク・ムーヴメントの発生地としてその名が知れていく。
ポリスのアメリカデビューも「CBGB」から始まったし、人気絶頂時のガンズ・アンド・ローゼズもアコースティック・ライブを披露したことがある。そして2006年10月末、この地での「CBGB」が終了。ラストステージはパティ・スミスだった。ヒリーは2007年に他界した。


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ラモーンズ『Rocket to Russia』(1977)
ラモーンズがCBGBに初登場したのは1974年。ヒリー・クリスタル曰く「とにかく酷かった」。誰もこの時、彼らのスピリットが、世界中の数え切れないほどのバンドの中に血と汗と涙となって流れ続けることを知らなかった。ライダースジャケットとジーンズとスニーカーという出で立ちで、全員が兄弟でもないのにラモーン姓を名乗り、3分足らずのスリーコードをかき鳴らす。それを20年以上も続けた。チャートやセールスとは一切縁がない。本作はパンクのクラシック「Sheena Is a Punk Rocker」を収録したサード作。ジョーイもジョニーもディー・ディーもトミーもみんな亡くなった。それでも世界で一番偉大な「1,2,3,4!」は今でもラモーンズだ。


ブロンディ『Plastic Letters』(1978)
出身地であるニューヨークのパンクシーンから飛び出したブロンディ。だが実際はそのポップ過ぎる音楽性やルックスの影響で、他のバンドから笑い者にされていたそうだ。シンプルなロックンロール・ナンバーから、レゲエやディスコやラップといったニュー・ウェイヴ的要素まで取り入れたブロンディは、結果的にどの同期バンドよりも成功。ナンバー1ヒットを連発する人気バンドになった。本作は「Denis」を収録したセカンド。金髪のデボラ・ハリーはセックスシンボルとなり、女性アーティストへの影響大だ。


ザ・ハートブレイカーズ『L.A.M.F.』(1977)
遅すぎたグラムロック、早すぎたパンクロックと言われたニューヨーク・ドールズのギタリストとしてデビューしたジョニー・サンダースの再出発もCBGBからだった。本作はハートブレイカーズとしての唯一のアルバム。タイトルは「Like A Mother Fucker」の略。オープニングの「Born Too Loose」だけでゾクゾクする。ジョニーはこの後ソロへ転向して『So Alone』を発表。ロック界のアウトローとして人生を貫く。1991年、38歳の若さで死去。ジョニーは死ぬまでロックンロールだった。


トーキング・ヘッズ『The Name of This Band Is Talking Heads』(1982)
ラモーンズのサポートしてCBGBに登場したトーキング・ヘッズ。デビュー当時からのインテリジェンスと試行錯誤は、ブライアン・イーノをプロデュースに迎え、テクノロジーによる知的欲求とアフリカンビートの肉体的衝動が一体化した1980年の『Remain in Light』で開花。本作は2枚組ライブ。1枚目はバンドのみ。2枚目はゲストを加えた演奏が聴ける。邦題は『実況録音盤』。


【執筆者の紹介】
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