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ミシシッピ・ジョン・ハートを偲んで〜70歳で返り咲いた伝説のブルースマンの偉大な足跡と功績

2019.11.02

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1966年11月2日、ボブ・ディランにも大きな影響を与えた伝説のブルースマン、ミシシッピ・ジョン・ハート(享年74)がシシッピ州グレナダにて死去した。
死因は心臓発作とされている。
柔らかく暖かいタッチのフィンガーピッキングギターと、深みのある歌声で人気を博した彼の音楽人生はまさに“返り咲き”という言葉がふさわしいものだった。


ミシシッピ州キャロル郡テオクで生まれた彼は、幼い頃にアヴァロンに移り住み、貧しい家庭で育つ。
9歳の時に母親から1ドル50セントのギターをプレゼントしてもらい、独学で弾き始め、ユニークなスリーフィンガー奏法を身に着けたという。
少年時代は大好きなギターを練習するかたわら、一日のほとんどを農作業に費やして過ごす。
10歳の時に学校を退学し、その後は小作人として働きながら地元でバンドを組んだり、路上で歌ったりしてわずかばかりの金を稼いで生計を立てていたという。
転機が訪れたのは1928年(34歳)だった。
当時、演奏パートナーだったフィドル奏者のウィリー・ナムールが、フィドルのコンテストで優勝してオーケー・レコーズで録音するチャンスを得てくる。
その時、ナムールはオーケー・レコーズのプロデューサー(トミー・ロックウェル)にジョン・ハートを推薦する。
その結果「Monday Morning Blues」が気に入られたこときっかけに、彼はメンフィスとニューヨークで行われたレコーディングのセッション(13曲)に参加することとなる。
“ミシシッピ”という名前は、この時にオーケー・レコーズによって加えられたものだった。
しかし、発表されたアルバムは商業的には失敗し、その後録音のチャンスには恵まれず…彼は再び田舎に戻ることとなる。
それから30年以上、地元の酒場などで時々演奏しながら小作農として細々と暮らしていた彼は、ブルースマニアの間で伝説化していたという。
再び転機が訪れたのは1963年(70歳)だった。
民俗音楽学者のトム・ホスキンズが、音楽業界では行方不明とされていた彼の所在を探し当てたのだ。
「Avalon, My Home Town」という自身の育った街の歌を耳にしたホスキンズは、彼に、ワシントンD.C.へ移ってもっと広い舞台で演奏を始めることを奨励した。


同年の7月、第3回ニューポート・フォーク・フェスティヴァルに出演した彼は「C.C. Rider」「Staggerlee」「Spike Driver Blues」の3曲を歌い観衆を虜にした。
それをきっかけに彼は“返り咲いたブルースマン”として新しい世代のアーティストや音楽ファンに受け入れられるようになる。


こうして何かに導かれるようにシーンに返り咲いた彼は、60年代にアメリカのポップスシーンをわかせた“フォーク・リヴァイヴァル”という大波の中で、70歳にして黄金期を迎える。
その後1966年に亡くなるまでのわずか3年の間で、ブルース、カントリー、ブルーグラス、フォーク、ロックンロールとジャンルの壁を超えて大きな足跡を残して去って行った…

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