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ジョニ・ミッチェルが恋した詩人レナード・コーエン

2019.11.07

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ローリング・ストーン誌『The 500 Greatest Albums of All Time』において、女性ソロアーティスト最高位(30位)に選ばれたジョニ・ミッチェルのアルバム『Blue』。
カナダからニューヨークに移り住み、24歳でデビューした彼女。
“恋多き女”と呼ばれた彼女が1971年(27歳)に放った、この名盤のオープニングを飾る「All I Want」の歌詞にはこんな言葉が並ぶ。

一人で旅をしているの、自由になる鍵を探して…
嫉妬と貪りの糸はほどけない
ジュークボックスのある安酒場でストッキングを破りたいわ




それは、彼女と同じカナダ出身のレナード・コーエンとの恋を赤裸々に綴った歌だった。
ミッチェル(当時23歳)とコーエン(当時32歳)が出会ったのは、1967年の夏、ニューポート・フォーク・フェスティバルのバックステージだった。
ジュディ・コリンズが開催したソングライターのワークショップで、二人は初めて顔を合わせる。

「レナードと出会った時、私は彼にこんなリクエストをした。“基本的に私は教育を受けていないから、あまり本も読んでこなかったの。こういうものを読んだらいいっていうリストを作ってくれない?”」


レナードはミッチェルの曲を聴いて、こんな風に答えたという。

「君の曲は十分素晴らしいものだし、君が読書をすることでそのオリジナリティーが損なわれる可能性もある。」


しかし、ミッチェルが“どうしても”とせがんだため、結局コーエンは彼女のためにリストを作って渡すこととなった。
そのリストの中には、スペインを代表する詩人/劇作家のフェデリコ・ガルシア・ロルカ、フランスの小説家/劇作家のアルベール・カミュ、そして後にミッチェルが“生涯の友”と呼ぶこととなった古代中国の易経の書物なども含まれていたという。

「彼の洗練されたスマートさはとても魅力的だったわ。彼の持っている教養や世界観の深さは、自分がこれまでの経験からどれだけ豊かなものを掘り出して音楽に反映させることができるか?その可能性を示してくれたの。」


ミッチェルは出会った時のコーエンの印象を、自身の2ndアルバム『Clouds(青春の光と影)』(1969年)に収録した「That Song About the Midway」の歌詞にしたためている。

彼はまるで黒人の男の子が耳につけているルビーみたいに際立っていたわ


ミッチェルとコーエンはすぐに惹かれ合い、親密な時間を過ごすようになる。
カナダ出身の二人は、その頃どちらともニューヨークに引っ越したばかりで、日々新しい何かに向かって行動しようとしていた時期でもあった。

「私たちはよく似たところもあったの。芸術を通じて社会の暗部を世に知らしめるためだけにカウンターカルチャーに属するには、どちらも真面目すぎたわ。アレン・ギンズバーグが“Howl(吠える)“でしたような、社会から逸脱した行為を単純に芸術的な極みを崇めるには保守的すぎた。」


二人の恋愛関係は数ヶ月で終わったものの、彼女がコーエンから受けた美意識や作詞の技法への影響は、長い間続いていくこととなった。
この時期、コーエンから受け取った芸術と愛が、自身の中にずっと生き続けていることを彼女はこう表現している。

「まるで聖なるワインのようなに、私の血の中を流れているあなた。」


コーエンもまた後のインタヴューで、60年代に現れた優れたソングライターの一人に彼女の名前をあげて、こんな言葉で賞賛している。

「タルムード(ユダヤ教の主要教派の多くが聖典として認めている口伝律法を収めた文書群で、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっているもの)で語られているように、どの時代にも彼女の作品のような素晴らしいワインあるんだ。」


彼女が1971年にリリースしたアルバム『Blue』に「A Case Of You」という名曲が収録されていた。
当時から画家としての才能も発揮していた彼女は、このアルバムをキャンバスに見立てて“自由で複雑難解な女心”をリリカルに歌い描いたのだ。

ああ、あなたは私の血の中を流れる聖なるワイン
とても苦くて、とても甘い
あなたなら1ケースだって飲み干せるの




<引用元・参考文献『ジョニ・ミッチェルという生き方 ありのままの私を愛して』ミッシェル・マーサー(著)中谷ななみ(翻訳)/スペースシャワーネットワーク>


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