「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the DAY

トミー・ドーシーを偲んで〜チャック・ベリーやフランク・シナトラにも多大な影響を与えた白人ジャズ音楽家の足跡と功績

2019.11.26

Pocket
LINEで送る

1956年11月26日、ジャズ史上最も美しい音でトロンボーンを吹き “センチメンタル・ジェントルマン”という愛称で親しまれたトミー・ドーシー(享年51)がコネチカット州グリーンウッチにある自宅で死去した。
死因は睡眠薬の過剰摂取とされている。


1930年代から1940年代はスイングジャズの最盛期だった。
この時代、生演奏でダンスをするボールルーム(舞踏場)もアメリカ全土に広がり、数多くのバンドが個性を競い合いながら人々のハッピーな時間を盛り上げていた。
その中でも、頭ひとつ抜けて人気を博していたのが白人系のビッグバンド、トミー・ドーシー楽団だった。
炭鉱夫だった彼の父親は音楽好きで、吹奏楽器を一通りこなし、人に教えたり、町の行事になくてはならないブラスバンドのリーダーを引き受けるほどの人物だったという。
彼は1歳年上の兄ジミーと共に幼いころからトランペットを習い始める。
後に兄はサックスやクラリネットに、彼はトロンボ-ンに専念するようになる。
高校時代は兄弟それぞれ別に学生バンドを作り、人気者だったという。
学校を卒業すると、兄は父親と同じ炭鉱に勤め、彼は配達夫として働きだす。
しかし、父親の助言を受けて二人は音楽で身を立てていく事を決意する。
二十歳になった彼は兄と共にデトロイトの有名バンドジーン・ゴールドケットの楽団に加入し、次第にジャズミュージシャンとして認められるようになっていった。
1934年、29歳の時にドーシーブラザーズ・オーケストラを結成。
後に“スウィングジャズ界の巨匠”と呼ばれることとなるグレン・ミラーは、1934年から1935年までこのオーケストラに在籍していた。
翌年、兄弟は音楽性の違いを巡って大喧嘩をして、それぞれバンマスになって独立した活動を始めるようになる。
その後は、彼のテーマソングとなった「I’m Getting Sentimental Over You」やルイ・アームストロング楽団のテーマ曲でもある「On the Sunny Side of the Street(明るい表通りで)」など、ビルボードチャートに137曲ものヒットソングを送り込む人気者となっていった。


ロックンロールの創始者の一人であるチャック・ベリーは、少年時代に音楽の道を選んだきっけとなった人物としてトミー・ドーシーの名前をあげている。

「マディ・ウォーターズ、Tボーン・ウォーカー、ナット・キング・コール、タンパ・レッド、ビッグ・メイシオ、ロゼッタ・ソープ…俺が好きだったのは皆イーストセントルイスの黒人ラジオ局の番組で聴いたアーティストだった。ある日、姉のルーシーが買ってきた白人トロンボーン奏者トミー・ドーシーのレコード“Boogie Woogie”を聴いた瞬間、一気に魅せられたんだ!あの一曲が俺に音楽の道を選ばせたんだ!」



また、あの稀代のエンタテイナー、フランク・シナトラもトミー・ドーシーから多大な影響と恩恵を受けてスター歌手になったという。
1939年、当時23歳だったシナトラは(それまで所属していたボーカルカルテットを辞め)ベニー・グッドマン楽団から独立したばかりのハリー・ジェームスの新しい楽団の専属歌手としてデビューを果たす。
翌1940年、トミー・ドーシーのオーケストラに引き抜かれ大活躍したシナトラは、その人気を決定的なものとした。
シナトラの甘いルックスと歌唱スタイルは、特に若い女性たちを虜にしてゆく。
多くのファンの心を掴んだその歌い方には、トミー・ドーシーのトロンボーンが影響していたという。
トロンボーン独特のグリッサンドを真似たような歌唱法がシナトラの歌の最大の魅力だった。
トミー・ドーシーが亡くなった時、シナトラは恩師への感謝と追悼の意を込めて、当時ドーシー楽団の編曲者だったサイ・オリヴァーのアレンジで彼の代表曲「I’m Getting Sentimental Over You」をレコーディングした。

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the DAY]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ