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ダン・フォーゲルバーグを偲んで〜アメリカで最も美しい詩を書くSSWの一人と言われた才人の足跡

2019.12.16

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2007年12月16日、1970年後半~1990年にかけアメリカで最も美しい詩を書くシンガーソングライターの一人と言われた才人、ダン・フォーゲルバーグ(享年56)がメイン州の自宅で逝去した。
死因は前立腺癌と発表された。
彼は多重録音を得意とし、ギター、キーボード、コーラスなど、すべてを一人でこなすそのスタイルから“一人CNS&Y(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)”と、呼ばれていた孤高のアーティストである。
叙情的な歌詞と温かみのある歌声で人気を博した彼は、ジェームス・テイラー、キャロル・キング、ジャクソン・ブラウンらと並んで“シンガーソングライター黄金期”を築き上げた音楽家の一人だった。
イーグルスのメンバーをはじめとするウエストコーストの著名なミュージシャン達との親交も深く、1974年発表の2ndアルバム『Souvenirs(アメリカの想い出)』をジョー・ウォルシュ(1975年からイーグルスにギタリストとして加入)がプロデュースしたことによって彼の名は広く知られることとなる。



1951年8月13日、彼はイリノイ州ピオリアで生まれた。
ミュージシャンだった両親の影響で、彼は幼い頃から音楽に親しみ、クラシックピアノを習う傍らスライドギターも独習するなどして楽器に擦れることが日常だったという。
高校時代にはビートルズのコピーバンドを組み、しだいに自作の曲を作るようになった彼は、シンガーソングライターになることを夢見て地元のコーヒーハウスやクラブなどで歌うようになる。
ある日知り合ったアーヴィン・エイゾフ(後にイーグルスのマネージャーとなる男)と共にロサンゼルスへ行き本格的に音楽活動をスタートさせる。
当時ミュージシャンの登竜門と言われていたトルバドールにも出演し、ヴァン・モリソンの前座を務めたこともあったという。
しかし、なかなかチャンスを掴めなかった彼らはナッシュビルへと向かう。
そこでノーバート・パットナム(プロデューサー)と出会い、念願の1stアルバム『Home Free』(1972年)を発表するものの…セールスは振るわなかった。
その後、ロサンゼルスに戻りセッションミュージシャンとしてイーグルスなど同世代の数多くのミュージシャンとのスタジオワークを経験しながら、彼は自身の音楽性に磨きをかけてゆく。
常に行動を共にしていたアーヴィン・エイゾフは彼を売り出す為に尽力すると共に、デヴィッド・ゲフィン(アサイラム・レコードの創設者)に雇われたことをきっかけに、自身も一流マネージャーとして成長してゆく。
そこでアーヴィンがマネージメントを担当したのがジョー・ウォルシュやイーグルスだった。
そして、アーヴィンが設立したフルムーン・レコードから彼は再デビューを果たすこととなる。
ジョー・ウォルシュやイーグルスのメンバーも参加して完成した2ndアルバム『Souvenirs(アメリカの想い出)』(1974年)は高い評価を得て、彼は70年代のウエストコースト・ロックの立役者の一人として認識されるようになる。
23歳にしてようやく日の目を見た彼だったが…ロサンゼルスでの都会生活に馴染めすにテネシー州→コロラド州へと転居し、自然に囲まれた農場での生活を始める。
田舎に引きこもりながら、彼は自身の音楽をより純粋に磨き上げてゆく。
1979年発表の6thアルバム『Phoenix』からシングルカットされた「Longer」が全米チャート1位に輝き、彼は28歳にしてミュージシャンとしての成功を掌中に収める。
その勢いに乗って1981年に発表した7th『The Innocent Age』に収録された「Leader of the Band(バンドリーダーの贈り物)」「Same Old Lang Syne(懐かしき恋人の歌)」もヒットを記録。
特に「懐かしき恋人の歌」は、ストーリー性のある歌詞と美しいメロディが秀逸で、彼の生み出した作品の中でも最も素晴らしい名曲と言われている。

昔の恋人に食料品店で出くわした
雪降るクリスマス・イヴのことだった
冷凍食品売場で、こっそり彼女の後ろに隠れて
彼女の袖に触れた…







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