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クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」が日本で発売された日

2019.12.21

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1975年(昭和50年)12月21日、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」(ワーナー・パイオニア)が日本で発売された。
同年の国内ヒットソングといえば…

1位「昭和枯れすゝき」/さくらと一郎
2位「シクラメンのかほり」/布施明
3位「想い出まくら」/小坂恭子
4位「時の過ぎゆくままに」/沢田研二
5位「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

山陽新幹線博多まで開通、第二次ベビーブーム、天皇が史上初めてアメリカ合衆国を公式訪問、双子デュオ歌手ザ・ピーナッツが引退、ローソン設立、マルちゃんのきつねうどん(東洋水産)、ペヤングソース焼そば(ペヤング)、「オヨヨ」(桂三枝)、「死刑!」(漫画ガキデカ)が流行した年でもある。


1975年8月、クイーンはヘレフォードシャー(当時はイングランド西部のヘレフォード・ウスター州の一部/現ヘレフォードシャー独立自治体)の貸家で4thアルバム『オペラ座の夜』の制作をスタートさせる。
作品全体の構想を固めた後、彼らはウェールズにあるロックフィールドスタジオに移り、約3ヶ月の時間を費やしてアルバムを完成させる。
クイーンにとって代表曲の一つとなった「ボヘミアン・ラプソディ」は、このアルバムからシングルカットされ、本国イギリスの全英シングルチャートでは9週連続1位を獲得、アメリカのビルボード誌では週間最高9位を獲得する大ヒットとなった。
クイーンの楽曲としては珍しく、歌詞中にタイトルの“ボヘミアン・ラプソディ”という言葉が一切登場しないという事もファンの間では話題となった。
当時まだ映像を伴う楽曲のプロモーション展開がなかった時代、本作は(明確な意味で)世界初のミュージックビデオが製作された作品だと言われている。
生前、フレディはこの新しいプロモーション方法についてこんな事を語っている。

「今ではミュージックビデオが大きなウェイトを占めているけれども、ボヘミアン・ラプソディはミュージックビデオに注目が集まった最初の作品の一つだった。大体5000ポンドくらいしかかからなかったものだけど、大反響だったよ。ミュージックビデオなら実際に海外に行かなくても、多くの国で多くの人々に観てもらう事ができるし、レコードと同時にリリースできると気づいたんだ。その後、ミュージックビデオはあっというまに流行って、レコードの売り上げをグンと伸ばしてくれた。」


当時レコードプロモーターだったアラン・ジェームズは、この新たな時代の到来についてこう振り返っている。

「ボヘミアン・ラプソディは、映像を伴って生み出されたヒット曲の第一号だった。それ以前のビートルズの映像などはシングルのオマケのちょっとした特典のようなものだった。当時はクイーンというバンドをどうとらえればいいのか誰にもわからなかったんだ。一部の音楽評論家の間では“ただの変わったオカマロックバンド”だなんて切り捨てられていたりもした。だけどこのミュージックビデオによって彼らは見事にブレイクし、音楽産業そのものを別の方向に向かわせたんだ。」


ブライアン・メイは、この「ボヘミアン・ラプソディ」を録音した時のことをこう振り返っている。
冒頭のアカペラに始まり、ピアノ、ギター、ベース、ドラムのインストゥルメンタル部分とオペラ的な中間部、そしてベヴィーなロックアレンジで締めくくるというこの大作は、当初実現不可能に思われていた。
ブライアン・メイは録音当時の事をこう振り返っている。

「作詞作曲したフレディの頭の中ではすべて出来上がっていたんだ。だけど各部分をどうやってつなげるつもりなのか?最初はみんな困惑していたよ。」


スタジオではフレディがリーダーシップを発揮し、ボーカルも納得いくまで歌い直しを重ねたという。 
4人のコーラスワークを録音する際にも、フレディは他のメンバーが「こんな声、出せないよ!」と言っても「いや、出るはずだ!」と何度もあきらめなかった。
音程の高い「ガリレオ~ガリレオ~」のコーラス部分は、ドラムスのロジャーが20回以上も録り直して完成したものだった。
BBCラジオの全英トップ40のパーソナリティであり、当時ロンドンのMTV番組を持っていたDJの故トミー・ヴァンスは、初めてこの曲を耳にした時のことをこう語っている。

「あれは僕がキャピタルの週末番組の収録を行なっているときだった。あの曲には何とも形容しがたい性質、見事な魔法があった。技術的に言えばメチャクチャな曲だ。長さも構成も、それまでに知られていた従来の商業的なルールにはまったく従っていなかった。シーケンスも曲調もテンポも、次々に色合いを変えてゆく。それはまさにロックのオペラだった。究極の快楽主義だ。あれにかなう曲を僕は知らない。」



フレディの死後、同曲は2018年にYouTubeやSpotifyなどのストリーミングサービスでの再生回数が16億回に到達し、20世紀に発表された楽曲の中で全世界で最もストリーミング再生された楽曲となった。
2019年には YouTubeでミュージックビデオの再生回数が10億回を突破し、1990年より前に制作されたビデオとしては“世界で一番観られたミュージックビデオ”として驚異的な記録を打ち立てている。


<引用元・参考文献『フレディ・マーキュリー~孤独な道化~』レスリー・アン・ジョーンズ(著)岩木貴子(翻訳)/ヤマハミュージックメディア>



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