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ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」が日本で発売された日

2019.12.26

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1978年(昭和53年)12月26日、ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」(ワーナー・パイオニア)が発売された。
同年の国内ヒットソングといえば…

1位「UFO」/ピンク・レディー
2位「サウスポー 」/ピンク・レディー
3位「モンスター」/ピンク・レディー
4位「君のひとみは10000ボルト」/堀内孝雄
5位「微笑がえし」/キャンディーズ


60階建の超高層ビル「サンシャイン60」が開館、新東京国際空港(現成田国際空港)開港、24時間テレビ「愛は地球を救う」放送開始、ディスコブーム、日中平和友好条約調印、サーフィンファッション大流行して、原宿に竹の子族登場した年でもある。

「俺がこれまで書いてきた曲の中で、これほど商業的に成功したものはない。アメリカでは200万枚以上、イギリスでは50万枚が売れて世界中でヒットした。俺が行ったことのない国や聞いたことのない街でもヒットしたんだ。当時、ワーナー史上最速で売れたシングルとなったよ。その記録は6年後にマドンナの“Like a Virgin”によって破られたけどね。」


この「Da Ya Think I’m Sexy?(アイム・セクシー)」は1979年にロッド・スチュワートとドラマーのカーマイン・アピス(ハードロックの分野におけるドラミングのパイオニア)が共作した楽曲で、レコーディングにはアメリカ音楽界きっての名プロデューサー、トム・ダウドが起用された。
同曲が収録されたアルバム『Blondes Have More Fun(スーパースターはブロンドがお好き)』
日本のオリコンアルバムチャートでも2位まで上昇する大ヒットとなった。
1975年にワーナーブラザースレコードに移籍して、「Sailing」を含むアルバム『Atlantic Crossing』でアメリカ進出を果たしたロッドは、同曲によって名実ともに世界的な“スーパースター”となったのだ。

「この曲を書いた頃、俺がよく聴いていたのは1977年にデビューしたバンド、シックのアルバム“Chic(ダンス・ダンス・ダンス)”や“C’est Chic(エレガンス・シック)”だった。それとオデッセイがヒット曲“Native New Yorker”とストーンズの“Miss You”もお気に入りだったよ。特にストーンズみたいなロックバンドがディスコビートに手を出したことが俺にとっては興味深いことだった。」





当時、音楽媒体は「ロッドがブルースに基づいたロックンロールというルーツを裏切った」「この曲は腐ったチーズの塊であり、ただの目立ちたがり屋が作った酷い作品だ」と非難した。
それはメディアだけにとどまらず、一部のファンも遠ざけてしまったという。

「フェイセズからのファンは心底裏切られたと感じたらしい。ディスコミュージックを憎き敵とみなしているロックファンから激しい口撃を受けたよ。70年代後半ってのはロック、ソウル、ヘヴィーメタル、パンク、ディスコがそれぞれに主張しあい、皆んなが新しいものを生み出そうとしていた時代だった。」


アメリカ進出前のイギリス時代に、ロッドはフェイセズの活動と並行させてソロ名義でのアルバムを多く発表してきた。
ロックをベースに自身のルーツでもあるサム・クックを意識したR&B調の曲、そしてボブ・ディランを意識したフォーク調の曲を上手く取り込んだ戦術で、多くのファンを魅了してきたのだ。
ディスコビートを取り入れ世界中で大ヒットを記録したこの曲には、メディアやファンからの口撃と共にさらなる逆風が吹くこととなる。
リオデジャネイロ出身の歌手でギタリスト、ジョルジ・ベンジョールが1972年に発表していた「Taj Mahal」という楽曲と「Da Ya Think I’m Sexy?(アイム・セクシー)」が酷似しているということで盗作疑惑が起こったのだ。
訴訟沙汰までに発展した結果、ロッド側が盗作を認めて同曲による印税収入を全て国連児童基金へ寄付することで解決となった。



「これは現行犯で俺はすぐに手をあげたよ。かと言ってレコーディング中に“作者はブラジルにいるからバレっこない!やっちまおう!”って言ったわけじゃないんだ。」


1978年(同曲を書く一年前)に、ロッドはエルトン・ジョンとフレディ・マーキュリーと一緒にリオのカーニバルの時期にブラジルを訪れていた。
ロッドはその滞在中に、街のいたるところで流れていた「Taj Mahal」を耳にすることとなる。

「そのメロディーが明らかに俺の記憶に残っていて、俺がコードに合う歌詞を探していた時に出てきたというわけなんだ。無意識の盗作で、それ以上でもそれ以下でもない。この曲の印税は手放したよ。」

ロッドはこの盗作を認めると同時に、同曲のイントロ部分のシンセサイザーによるストリングアレンジに関しても言及している。

「あのイントロは、俺が意図的にボビー・ウーマックの“(If You Want My Love) Put Something Down On It”からくすねてきたものなんだ。でもルールとしては、アレンジ部分からは(メロディーと異なるものとして)著作権を侵害することなく持ってくることができるんだ。だからこれに関しては何も言ってこないでくれよ(笑)」



1977年に製作された映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のメガヒットで、世界的なディスコブームが巻き起こった70年代後半、大物ロックアーティストたちが次々とディスコビートを取り入れてヒットチャートを席巻してゆくこととなる…

「普段耳にしているものが曲のアイディアに影響されるのは避けられないことなんだ。この曲は商業的な成功とは裏腹に、俺に色んな矛盾を投げかけてきたものだった。だけど俺はこの曲を気に入っているし、とても誇りに思っているよ。」



<引用元・参考文献『ロッド・スチュワート自伝』ロッド・スチュワート (著)中川泉 (翻訳)/ サンクチュアリ出版>



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