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あのスティッフレコードから最強ポップチューンを放ったコメディエンヌの華麗な足跡

2019.12.30

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トレイシー・ウルマン、60歳。
アメリカで成功した最初のイギリス人コメディエンヌとして知られている才女である。
彼女は、歌手、映画女優、テレビショーの司会という顔も持ち、その鋭い人間観察と巧みな形態模写によって様々なキャラクターを演じ分ける稀代のエンターテイナーなのだ。
現在はアメリカでの市民権を取得しており、ハリウッドでも活躍するイギリスの大物テレビ・プロデューサーの夫と共にロサンゼルスで暮らしている。

「昔のイギリスでは、テレビに出てくる女性に笑いなど求められていなかった。アメリカにはルシール・ボールやキャロル・バーネット、ギルダ・ラドナー、リリー・トムリンがいたけど、私の国ではお手本となるような存在がいなかったのよ。」


1959年12月30日、彼女はイギリスのバークシャー州スラウで生まれた。
父親の家系はカトリックを信仰するポーランド人で、母親の家系はジプシーの血を引くイギリス人だった。
彼女が6歳の時に父親が心臓発作で急逝する。

「父は子供たちを寝かしつけるために本を読んでくれている最中に亡くなったの。母がショックでふさぎ込んでしまって…私は姉と一緒になって歌や寸劇を披露して母を励まそうとしたの。」


当時の人気歌手や映画スターや近所の知り合いなどの物まねをすることが彼女の十八番で、これが後のコメディエンヌとしての原点となったのだ。
その後、母親は新しい相手と再婚するが…その男には酒乱という悪癖があり、彼女たち姉妹は喧嘩が絶えない家庭の中で辛い少女時代を過ごしたという。
1962年、彼女は12歳の時に転機を迎える。
当時通っていた学校の校長先生が彼女の演技力や歌の才能を見抜き、ロンドンでも有名な演劇学校イタリア・コンティ学院を推薦してくれたのだ。
彼女はそこで4年間に渡って本格的に演技や歌、そしてダンスの訓練を積むこととなる。
将来エンターテイメントの世界で活躍することを夢見て、数多くのオーディションを受けていた彼女はミュージカル『ジジ』の役を獲得し、16歳の時に念願の初舞台を踏む。
その後ロンドンで『ロッキー・ホラー・ショー』など様々なミュージカルに出演する傍ら、
ロイヤル・コート劇場の寸劇の舞台に立つようになる。
寸劇で演じたナイトクラブ歌手のキャラクターが大ウケした彼女(当時21歳)は、1981年度ロンドン演劇批評家賞の最優秀新人賞を獲得。
その才能に注目したイギリス国営放送局BBCに起用され、彼女はテレビ番組に出演するようになり活躍の場を広げてゆく。
次に彼女が転機を迎えたのは22歳の時だった。
ミュージカルの舞台で歌もダンスも鍛えてきた彼女にポップシンガーとしてデビューするチャンスが訪れたのだ。
当時、エルヴィス・コステロ、ニック・ロウ、イアン・デューリーらを世に送り出し、英国のロックシーンを牽引していたスティッフレコードの社長(デイヴ・ロビンソン)の妻ローズマリーが彼女のファンで、ある日、行きつけの美容室で鏡ごしにいきなり声をかけてきたという。

「目の前に現れた初対面のローズマリーから“あなたレコードを出す気はない?”と言われてビックリしたわ。」


スティッフレコードは契約をすぐにまとめ、1983年にアルバム『You Broke My Heart in 17 Places』で、彼女を歌手としてデビューさせる。
ファーストシングルカットされた「Breakaway」は、1960年代にアメリカで活躍した黒人歌手アーマ・トーマスのヒット曲のカヴァーだった。
弾けるようなサウンドアレンジが印象的な“80年代ロンドン産のポップナンバー”は、リリース直後に全英チャートを上り詰め、最高順位4位を記録する。



続いて同アルバムからセカンドシングルとしてリリースされた「They Don’t Know」(当時スティッフレコードに所属していた女性歌手カースティ・マッコールのカヴァー曲)は、UKチャートで2位を記録し、西ドイツ、オランダ、フランス、イタリアなどヨーロッパ各国でもトップ10入りを果たし、アメリカのビルボードチャートでは8位をマークするほどの大ヒットとなり、彼女は歌手としても大きな期待を集める存在となる。
しかし、翌1984年にリリースしたセカンドアルバム『You Caught Me Out』の売り上げは伸びることなく…スティッフとのロイヤリティを巡る不和なども発生し、彼女は歌手としてのキャリアにあっさりと見切りをつける。
同時期に、テレビプロデューサーのアラン・マッケオウンと結婚をして、アメリカの芸能エージェントとも契約した彼女は、メリル・ストリープが主演した映画『プレンティ』(1985年)で本格的な女優デビューを果たす。
それを機に、アメリカへ活動の拠点を移すことを決意し、夫と共にロサンゼルスへと渡っ てゆく。


渡米後、自身の名前を冠にしたテレビ番組『The Tracey Ullman Show』(1987年–1990年)の司会を務め、エンターテイナーとしてのマルチな才能を開花させた彼女は、ドラマ『アリー my Love』(1998年–1999年)、映画『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(1990年)、『ロビン・フッド/キング・オブ・タイツ』(1994年)、『プレタポルテ』(1993年)、ウディ・アレン監督映画『ブロードウェイと銃弾』(1994年)と『おいしい生活』(2000年)などで好演し、確固たるキャリアを築いている。
また、自身の原点でもあり最も得意とする寸劇コメディに挑戦したケーブル放送局HBOの番組『Tracey Takes On…』がエミー賞のバラエティ番組部門最優秀作品賞を獲得し、彼女はゴールデングローブ賞でもコメディ/ミュージカル部門の最優秀主演女優賞にノミネートされるほどの“実力派コメディエンヌ”として独自の芸風・ポジションを確立することとなる。




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