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11月4日にニューヨークで開かれたボブ・ディランの初コンサートには53人の客しかいなかった

2017.11.04

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ボブ・ディランの初コンサートが行われたのは1961年の11月4日、場所はニューヨークのマンハッタン7番街と57丁目の一角を占めるカーネギー・ホールだった。

ただしカーネギー・ホールとはいっても音楽の殿堂として知られている大ホールではなく、リハーサル・ルームのひとつ、チャプター・ホールが会場だった。

そして客席100のホールには53人の客しか入ってなかったとも言われる。
だが、ディランは会場に客が少ないことなどで気落ちするようなことはなかった。

なぜならばその10日前にレコード会社との間で、正式にレコーディングする契約を交わしていたからだ。
そのニュースがニューヨークのフォークシンガーたちの間に広まると、誰しもが嫉妬を通り越して歓喜の声をあげるようになったという。

グリニッジビレッジのコーヒーハウスやクラブで歌っていた若い世代の男性フォーク・シンガーたちのなかで、最初のレコーディング・アーティストが誕生しただけにとどまらず、契約相手はメジャーのCOLUMBIA(コロムビア)だったのだ。

しかもディランを見出したのがコロムビアの実力者で、伝説のプロデューサーと言われるジョン・ハモンドである。



ハモンドの祖父は南北戦争で活躍したジョン・ヘンリー・ハモンド将軍であり、母方の祖父は海運や鉄道で財閥を築き上げた大富豪のヴァンダービルト家の出身だ。

名家の長男として生まれたハモンドは1933年、ハーレムで聴いたビリー・ホリデイをベニー・グッドマンとの共演でレコーディング・デビューさせた。
またカウント・ベイシー楽団をカンザスシティからのラジオ放送で聴き、彼らをニューヨークに招いて全国的な注目を集めることに成功した。

戦前はジャズ界を中心に活躍したハモンドだったが、1950年代後半にはピート・シーガーとババトゥンデ・オラトゥンジと契約し、当時18歳のゴスペル・シンガーだったアレサ・フランクリンも発掘している。

コロムビアでハモンドが手がけるのであるならば、ディランの成功は約束されているかのように見えたかもしれない。



しかし、それから半年後に最初のアルバム『ボブ・ディラン』がリリースされたのに、きたいをに応えられず5000枚にも満たない売上だったことから、コロムビアの役員たちはディランのことを「ハモンドの道楽」と呼ぶことになったという。

だがハモンドはそんなことで、ディランをレーベルから手放したりはしなかった。
そして「風に吹かれて」をはじめ、「北国の少女」、「戦争の親玉」、「はげしい雨が降る」、「くよくよするなよ」などを収録した、世界の音楽史にのこるアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』が、1963年に誕生することになるのだ。


カーネギーホールの貴重なコンサートの音源は、後に「Carnegie Chapter Hall」としてブートレッグで出回ることになった。
全14曲の内訳はオリジナルが2曲、ウッディ・ガスリーのカヴァーが2曲、さらにフォークとブルースのトラディショナルを取り混ぜた内容だった。
それを聴くと言葉を吐きすてるような独特の唱法が、アルバムをレコーディングする前に完成していたことがわかる。



(注)本コラムは2013年11月4日に公開した内容に加筆したものです。

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