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NYのシェイ・スタジアムのマウンドで歌われた「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」

2018.09.01

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1964年9月1日はニューヨークのシェイ・スタジアムで、史上初の日本人大リーガーが誕生した記念日である。

サンフランシスコ・ジャイアンツの「マッシー・ムラカミ」こと村上雅則は、南海ホークスの鶴岡一人の目に留まり、鶴岡から「ウチへ入ったらアメリカに行かせてやる」と口説かれて、高校野球の名門だった法政二高在学中に南海と契約を結んだ。
そしてプロ3年目の1964年の春に、野球留学でサンフランシスコ・ジャイアンツノへ派遣された。

南海はその前の年からベースボールの本場であるアメリカに、選手やコーチを派遣する試みを始めていた。
そして2年目となる野球留学に選ばれたのが、村上雅則投手、高橋博捕手、田中達彦内野手だった。

送り出す球団側はこの時、それほど大きな成果を見込んでいたわけではない。
それは証拠には村上雅則がわずかに3ヶ月間、ルーキーだった二人は1年間の期限付き留学だった。
アメリカの選手たちと一緒にキャンプを過ごすことで、本場のマイナー・リーグを体験させたいという漠然とした期待はあったにしても、将来に向けた施策の一つという程度の扱いだったのだ。

ところがスプリング・トレーニングに特別枠のゲスト扱いで参加した3人の中から、村上だけがジャイアンツ傘下の4軍、1Aのフレズノ・ジャイアンツに配属されることになった。



留学期間の3ヶ月を過ぎてもフレズノ・ジャイアンツで投げ続けた村上は、8月の後半までに11勝7敗、防御率1.78の好成績をあげた。
その結果、1Aのカリフォルニア・リーグで新人王を獲得し、ベストナインにも選出された。

ことによるとメジャーへ昇格するかもしれない、そんな可能性があることを知ったのは8月20日すぎのことだったという。
常に辞書を離さずに英語を学ぼうとしていた村上は、少しずつだが会話を理解できるようになっていた。
ロッカールームで選手たちが何か話しているので、その輪に入って聞いていると、成績の良い選手を9月1日からメジャーに昇格させて、実力を確かめてみる話が話題になっているとわかった。
 
監督から「君が選ばれたのですぐにニューヨークへ行くように」と命じられたのが8月29日、翌日にはニューヨークまでの飛行機の切符を手渡された。

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ジャッキー・ロビンソンがアフリカ系アメリカ人選手として初めて、メジャーリーグでデビューしたのは1947年のことだ。
彼の著しい活躍と紳士的な態度によって、有色人種にもようやく扉が開かれることになった。
しかし日本人はもとより、アジア系からはまだ誰一人としてメジャーリーグで通用する選手は登場していなかった。

ジャイアンツの選手たちはその日の午後になって、メッツの本拠地のシェイ・スタジアムに乗り込んだ。
マンハッタン島の東側、クイーンズ区にあるシェイ・スタジアムは、この年の春に完成したばかりで収容人員は約5万7000人(当時)、まだ真新しいコンクリート造りの3階建の建物だった。

ちなみに人気が頂点に達していたビートルズによる、史上初のスタジアム・コンサートが行われたのは翌年の8月15日である。<参照コラム 「ロック・コンサートの新たな時代を切り拓いたビートルズのシェイ・スタジアム公演」>



マイナー・リーグの1Aから3階級を超えて、この日にメジャーに抜擢されたばかりの村上がブルペンでウォーミングアップしていると、登板の連絡が入ってきた。
ブルペンで最後の一球を力一杯投げると、場内アナウンスが「ナウ・ピッチング!ナンバー・テン!マサノリ・ムラカミ」と響いた。

レフトフェンスの扉を開けて場内に足を踏み出し、カクテル光線に照らされた芝生をマウンドへ向かったその時、村上は緊張のあまりあがってはいけないと、自然に坂本九の「上を向いて歩こう」を歌い出していたという。

4万の大観衆の中、「スキヤキ」を口ずさみながらマウンドに進みました。スキヤキ・ソングは全米ヒットナンバーワンになった曲で、当時は毎日のように流れていました。


村上はマウンドに立ってもう一度、「上を向いて歩こう」をハミングしながらスタンドを見上げた。

なぜ、あんな場面で「上を向いて歩こう」のメロディーが口をついて出たのだろう。
別に、それほど気負ってもいなかったし、胸がドキドキしたわけでもなかった。
いま思い返してみても、よくまあ、あれだけ落ち着いていられたものだと思う。
〝若さ〟というやつだろう。自分ではアガッていなかったと思う。
だが、いまになって考えれば、あのとき「上を向いて歩こう」を歌ったのは、やはり心のスミっこで〝アガっちゃいかんぞ、落ち着くんだぞ〟という意識が働いていたのかもしれない。


村上はこの夜、MLBサンフランシスコ・ジャイアンツのピッチャーとして、シェイ・スタジアムを本拠地にするニューヨーク・メッツを相手に8回裏にリリーフ・ピッチャーとして登板し、無失点に抑えてメジャーデビューを飾った。

二人目の大リーガー、野茂英雄がさっそうと登場して大活躍するのはそれから30年後である。




(注)本コラムは2013年9月1日に公開したものに加筆しました。なお文中に引用した村上雅則氏の発言は、同氏の著作「たった一人の大リーガー)(恒文社)からの引用です。

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