TAP the DAY

浅川マキが初コンサートの前夜、寺山修司に唄えないと抗議した「ロング・グッド・バイ」

2017.12.14

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浅川マキが初のワンマン公演を行ったのは、1968年12月13日から15日までの3日間だった。
場所は「アンダーグラウンド蠍座」、前衛芸術とカウンターカルチャーの発信地だった映画館「アートシアター新宿文化」の地下作られた、客席が90席の小劇場だ。

構成と演出を手がけるのはアングラ劇団の「天井桟敷」を主宰する寺山修司で、独り語りの詩がところどころで読まれるリサイタルである。
公演のために12曲もの歌詞が、寺山によって新しく書き下ろされた。

しかし前日のリハ―サルが終わる段になってから、浅川マキの世界と寺山ワールドの違いから問題が表面化した。
その晩の出来事を浅川マキが次のように書き残している。

深夜はとうに過ぎていたと思う。
地下にある小さな劇場の隅に、ふたつ椅子を置いた。
明日の夜には、此の場で、わたしは化粧して唄う。
わたしのために書かれた詩はます目いっぱいになって、わたしはその分厚く束になった原稿用紙を力なく持っていた。
寺山修司さんは膝に手を置くと、大きな軀を屈めるようにして座った。
彼は目線を上げると、まっすぐこちらを見ても黙っている


ふたりが向き合うことになったのは「ロング・グッドバイ」について、浅川マキが「この詩が、わたしには唄える自信がない」と言ったからだった。
当初は「朝鮮人のおじさん」という仮タイトルだったその長い歌は、コンサートの最後に唄われる予定になっていた。

寺山修司が書いたその歌は、在日韓国人2世だった金嬉老がその年の2月に起こした殺人を発端とする監禁事件に触発されて書かれたもので、”朝鮮人”という単語がくり返し歌の中に出てくる。

しあわせな日は長くない
さようならだけが人生で
あとはみじめな夜ばかり
朝鮮人だという事で誰にも名前を教えない
お風呂屋に貼ってあった指名手配の殺人犯の長田こと韓甲晩 
巨人軍に入った静岡の名投手 新浦こと金
自分の名前に銃を向け叫びつづけた金嬉老

ああ おじさん!
いくじなしのおじさん
遺書も書かなかった
ひっそりと死んでしまった朝鮮人の
ぐうたらの一人もののおじさん


浅川マキは小声ながらも抗議の意志を込めて、「朝鮮人と云う響きに自信がない」と訴えた。
しかし寺山は浅川マキの目を見すえて、「朝鮮人のおじさんのうたは、明日からの舞台で、ぼくがあなたに、一番唄って欲しいうただとしたら」と、問いかけてきた。

浅川マキは心のなかで「いやよ」と思いながら、もうひとつの歌のことを思い出していた。
寺山が書いた「かもめ」という娼婦の歌についても、やはり「わたしはそんな女じゃない」と思っていたのである。

そしてあらためて、「朝鮮人のおじさんが、アパートでひとりで自殺するはなしなんて、わたしは素敵に唄えないもの」と思い直した。
だが、2時間に及んだふたりの押し問答は平行線に終わり、結論が出ないまま翌日へと持ち越される。

12月13日の夜10時、真夜中のコンサートの幕が開くと、真っ黒な衣装で登場した浅川マキの作詞による「夜が明けたら」が始まった。
それが終わると、出来たての新しい歌が、語りとともに次々に披露されていく。

わたしが六つの時、父が死んで、母の実家で暮らすようになりました。
その村は、家が五軒しかなくて、だから、いつも遊び相手は妹でした。


壁に当たった印象的な赤いライトの中で、「かもめ」がうたわれた。


「かもめ」
作詞 寺山修司/作曲 山木幸三郎

おいらが恋した女は
港町のあばずれ いつも
ドアを開けたままで着替えして
男達の気を引く浮気女
かもめ かもめ 笑っておくれ

おいらは文無しマドロス
バラ買うゼニも無い だから
ドアの前を行ったり来たりしても
恋した女にゃ手も出ない
かもめ かもめ 笑っておくれ


このコンサートを企画したプロデューサーの寺本幸司は、「東京挽歌」という歌謡曲でデビューして失敗していた浅川マキを、本来の持ち味であるゴスペルやブルースに通じるオリジナル曲によって、なんとか再起させようと考えていた。
そして浅川マキが前の日に問題になった「ロング・グッドバイ」をうたい終わったとき、最後列の暗がりに立っている寺山修司と眼が合った。

お互いに頷いた瞬間、いま「浅川マキ」という歌手が生まれた、と思った。
(浅川マキCD「Long Good-bye 」ライナーノーツより)


客の心に届けるにはどんな風に唄えばいいのか、浅川マキがそれを自分のものにすることができたのは、その夜のことだったという。

「朝鮮人のおじさん」のうたと「かもめ」は、わたしの感情のすべてを捨てて唄った。
そんなこと知りませんよ、と放り投げて唄うとき、詩は生き物のようにひとり歩きする。
寺山修司の言葉が、勝手に客席に突き刺さっていく。


「夜が明けたら」を例にして、唄い方についてもこんなふうに語っていた。

あの曲は確かにマイナーですよね。
だけど私は絶対に暗くうたっていませんよ。
むしろ特別な感情を入れずにうたっています。
確かに”切符を一枚用意してちょうだい”という詞の一節があります。
でも言葉とは裏腹に、ちっとも期待していない歌い方、闇に向かって、誰もいないところへと放り投げるわけです。


「かもめ」はその後、浅川マキのライブには欠かせない歌になり、生涯の代表曲となっていった。
一方で「ロング・グッドバイ」は最終日を最後に、10数年にわたって再び唄われることはなかった。

9分近い「ロング・グッド・バイ」を時おりうたうようになったのは、1983年に寺山修司が47歳で亡くなってからのことだ。

プロデューサーの寺本は浅川マキが急逝した2010年に、追悼盤的な意味合いをこめて2枚組のCDをまとめた。
そのタイトルは『Long Good-bye』だった。


浅川マキ『Long Good-bye』
EMIミュージックジャパン

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