TAP the DAY

浅川マキが初コンサートの前夜、寺山修司に唄えないと抗議した「ロング・グッド・バイ」

2015.12.12

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浅川マキが初のワンマン公演を行ったのは、1968年12月13日から15日までの3日間のことだ。
場所は「アンダーグラウンド蠍座」、前衛芸術とカウンターカルチャーの発信地だった映画館「アートシアター新宿文化」の地下作られた小劇場だった。

構成と演出を手がけるのは寺山修司、独り語りの詩がところどころで読まれる、小さなリサイタルという内容となった。
公演のために12曲もの歌詞が新しく書き下ろされたが、問題が表面化したのは前日のリハ―サルが終わる段になってからだ。
その晩の出来事を浅川マキが、次のように書き残している。

深夜はとうに過ぎていたと思う。
地下にある小さな劇場の隅に、ふたつ椅子を置いた。
明日の夜には、此の場で、わたしは化粧して唄う。
わたしのために書かれた詩はます目いっぱいになって、わたしはその分厚く束になった原稿用紙を力なく持っていた。
寺山修司さんは膝に手を置くと、大きな軀を屈めるようにして座った。
彼は目線を上げると、まっすぐこちらを見ても黙っている


ふたりが向き合うことになったのは「ロング・グッドバイ」について、浅川マキが「この詩が、わたしには唄える自信がない」と言ったからだ。
当初は「朝鮮人のおじさん」という仮タイトルだった長い歌は、コンサートの最後にうたわれるはずになっていた。

在日韓国人2世だった金嬉老がその年の2月に起こした殺人を発端とする監禁事件に触発されて、寺山修司が書いたその歌には、くり返し”朝鮮人”という単語が出てくる。

しあわせな日は長くない
さようならだけが人生で
あとはみじめな夜ばかり
朝鮮人だという事で誰にも名前を教えない
お風呂屋に貼ってあった指名手配の殺人犯の長田こと韓甲晩 
巨人軍に入った静岡の名投手 新浦こと金
自分の名前に銃を向け叫びつづけた金嬉老

ああ おじさん!
いくじなしのおじさん
遺書も書かなかった
ひっそりと死んでしまった朝鮮人の
ぐうたらの一人もののおじさん


浅川マキは小声ながらも抗議の意志を込めて、「朝鮮人と云う響きに自信がない」と訴えた。
しかし寺山は浅川マキの目を見すえて、「朝鮮人のおじさんのうたは、明日からの舞台で、ぼくがあなたに、一番唄って欲しいうただとしたら」と、問いかけてきた。

浅川マキは心のなかで「いやよ」と思いながら、もうひとつの歌のことを思い出した。
「かもめ」という娼婦をテーマにした歌についても、やはり「わたしはそんな女じゃない」と思っていたのである。
そして「朝鮮人のおじさんが、アパートでひとりで自殺するはなしなんて、わたしは素敵に唄えないもの」と思った。

ふたりの押し問答は2時間に及んだが平行線に終わり、結論が出ないまま翌日へと持ち越された。

12月13日の夜10時、真夜中のコンサートの幕が開くと、真っ黒な衣装で浅川マキが登場して「夜が明けたら」が始まった。
こんな語りとともに、出来たての新しい歌が次々に披露されていく。

わたしが六つの時、父が死んで、母の実家で暮らすようになりました。
その村は、家が五軒しかなくて、だから、いつも遊び相手は妹でした。


壁に当たった印象的な赤いライトの中で、「かもめ」がうたわれた。

歌謡曲でデビューして失敗していた浅川マキの再起にかけるプロデューサー、寺本幸司は問題になっていた「ロング・グッドバイ」を浅川マキがうたい終わったとき、最後列の暗がりで立っている寺山修司と眼が合った。

お互いに頷いた瞬間、いま「浅川マキ」という歌手が生まれた、と思った。


歌が客の心に届くにはどんな風に唄えばいいのかを、浅川マキが自分のものにしたのはその夜のことだった。
浅川マキは後にそのコンサートを、こんなふうに回顧している。

「朝鮮人のおじさん」のうたと「かもめ」は、わたしの感情のすべてを捨てて唄った。
そんなこと知りませんよ、と放り投げて唄うとき、詩は生き物のようにひとり歩きする。
寺山修司の言葉が、勝手に客席に突き刺さっていく。


その夜から「かもめ」は浅川マキにとって、コンサートに欠かせない代表曲となった。
一方で「ロング・グッドバイ」はその日以来、長い間うたわれることはなかった。

それから25年後に行われたインタビューでは、「夜が明けたら」のうたい方についてこう語っている。

あの曲は確かにマイナーですよね。
だけど私は絶対に暗くうたっていませんよ。
むしろ特別な感情を入れずにうたっています。
確かに”切符を一枚用意してちょうだい”という詞の一節があります。
でも言葉とは裏腹に、ちっとも期待していない歌い方、闇に向かって、誰もいないところへと放り投げるわけです。


1983年に寺山修司が47歳で亡くなってから、浅川マキは9分近い「ロング・グッド・バイ」を時おりうたうようになったという。

浅川マキが急逝した2010年、寺本は追悼盤的な意味合いをこめてまとめた2枚組のCDを、『The Long Good-bye to MAKI』と名付けて発表した。


浅川マキ『Long Good- bye』
EMIミュージックジャパン

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