TAP the DAY

クリスマスにちなんだバンド名で、クリスマスにデビューしたキャロル

2016.10.01

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1972年10月1日、フジテレビで夕方に生放送でオンエアされていた若者向けの情報番組『リブ・ヤング!』で、「ロキシー・ファッション」という企画が取り上げられた。
そこで4人全員がリーゼントに革ジャンという出で立ちのバンドが、一曲だけ歌って演奏した。
バンドはキャロルという名前だった。

番組に出演していた内田裕也はリハーサルを見てすぐに、プロでデビューしないかと本番後にオファーをしていた。
家でテレビを見ていたミッキー・カーチスも、番組が終わる前に電話でディレクターを呼び出した。
そして自分のレーベルで出したいからと、オンエアが終わった後に電話でメンバーの矢沢永吉と話を進める。

『リブ・ヤング!』出演からわずか10日後、キャロルは日本フォノグラムと専属契約を結んだ。
もちろんプロデューサーはミッキー・カーチス。

そして12月25日、クリスマスの日にデビューすることになった。
バンド結成から半年、テレビで発見されてから2か月もかかっていない。
まさに発見から誕生へ、電撃的なプロ・デビューだった。

ルイジアンナ

キャロルは結成当初から、ドイツのハンブルグで武者修行をしていた時代のビートルズを目指していた。
バンド名のキャロルはジョニー大倉が思いついたものだ。

「オレはさぁ、ゴールデン・バットがイケてると思うんだけど」
 永ちゃんが言った。
「ルーシーっていうのはどうかな?」
 ウッちゃんが言った。
「ジョニーにはさぁ、何がいいと思う?」
 永ちゃんがぼくに訊いた。
「キャロルっていう名前がいいよ」ぼくは答えた。
 ぼくの頭の中には『クリスマス・キャロル』の神聖なイメージがあった。なぜだかわからない。でも、このバンド名以外にピッタリくるものはない、と直感したのだ。
(ジョニー大倉著「キャロル夜明け前」主婦と生活社)


ジョニー大倉はそれまでも「アンナ」と「ジュリア」という、女の子の名前のバンドで活動してきた。
「ヤマト」や「ゴールデン・バット」ではなく、西洋的でやさしい響きの「キャロル」になったのは、奇しくも矢沢永吉とジョニー大倉という個性の対比をあらわしている。

キャロルはふたりの異なる資質と才能が化学反応を起こして、音楽シーンに大きな波紋を投げかけることになるのだ。

ノンフィクション作家の田家秀樹が初めてキャロルを見たのは12月16日、東京の赤坂にあったディスコ「MUGEN」で開かれたクリスマス・パーティーだった。
デビューを目前にした業界向けのコンベンションだったが、文化放送の深夜番組「セイ!ヤング」の機関紙『ザ・ヴィレッジ』に、その時の感想をこう書いていた。
田家の予感は半年後に現実になる。

<演奏は粗削りだが実に小気味よい。ともかくこれが日本人かと思うほどバタ臭くて美しい。そして甘美なまでの若さ>
<日本の本物のロックンローラーたちの誕生をつげる叫びかもしれない>


キャロルが登場したのとほぼ同時期に日本の音楽シーンを革新的に変えていった、サディスティック・ミカ・バンドのリーダーだった加藤和彦と、ギタリストの高中正義もまたその日はなぜかMUGENに居合わせた。

高中がJ-WAVEの『FM Colorful Style 』に出演(2014.09.06オンエア)したとき、こんなエピソードを披露している。

矢沢永吉さんとはね、昔から接点があって、キャロルがデビューしたときに赤坂のMUGENってところで、
大晦日あたりにお披露目のパーティーがあったんです。
加藤和彦さんとシャンパン飲みながらキャロルってカッコ良いねって見てた。
そのあと何年か経って、サディスティック・ミカ・バンドとキャロルでツアーをしたことがあるの。


プロデューサーだったミッキー・カーチスのアイデアで、キャロルはデビュー・シングル「ルイジアンナ」から毎月一枚、連続してシングルをリリースする異例の作戦で、1973年6月までに7枚のシングルが発売された。

毎月一枚、必ず新曲をリリースするというのは、コンビを組んだばかりの新人ソングライターだったジョニー大倉と矢沢永吉には、きわめて苛酷なしばりだった。

1stの「ルイジアンナ」が20万枚、2ndの「ヘイ・タクシー」が10万枚、それからは少しずつジリ貧になっていった。

しかし二人はデビューから半年後、「ファンキー・モンキー・ベイビー」という日本のロック史に残る傑作をモノにする。

ファンキーモンキーベイビー

「ファンキー・モンキー・ベイビー」は30万枚を売り上げて、キャロルはそこからいよいよ全国的な人気バンドとなって快進撃が始まる。

キャロルとサディスティック・ミカ・バンドが関東、東北、関西、九州など13カ所のツアーを行ったのは1974年で、その年は7月7日の「日比谷サード・ロックン・ロール・ストリーク」(日比谷野外音楽堂)と、伝説となった8月10日のイベント「ワン・ステップ・フェスティバル」(郡山市開成山公園)でも、両者で競演を果たしている。

人気絶頂にあったロックバンドのキャロルが解散を発表するのは1974年12月30日のことだ。




〈注〉このコラムは 2015年12月25日に公開されたものです。なお初めてフジテレビの『リブ・ヤング!』に出演した日付に関しては、1972年10月8日という説もあります。

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