TAP the DAY

ソニー・テリーを偲んで〜盲目のハーピストの人生に“一筋の光”をもたらした運命的な出会い〜

2016.03.11

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ギターとハーモニカというコンビはブルースに多いパターンである。
この楽器の組み合わせだと、ブルースファンの間ではバディ・ガイとジュニア・ウェルズのコンビが有名だが、彼らよりも先輩にあたるブラウニー・マギーとソニー・テリー(サニー・テリーと表記されることもある)というコンビがいたことをご存知だろうか?
この二人、長年活動していたにも関わらず(意外にも!?)仲が悪くて「楽屋ではまったく口をきかなかった。」というエピソードが残っている。
それでもステージやレコーディングでは、素晴らしく息の合った演奏を聴かせるのだから流石である。
さて、今回のコラムの主役ソニー・テリーと言えば“盲目のハーピスト”として知られ、曲の途中に独特の合の手(奇声!?)をあげることでも有名なミュージシャンだ。


彼は1911年10月24日にジョージア州で生まれたが、3歳の時に家族と共にノースキャロライナ州に移住する。
両親が農作業をしながら家族を食べさせるという、当時では典型的な黒人家庭のもとで育てられる。
地元でダンスパーティーなどがあると、彼の父親はフォーク系のハーモニカスタイルで場を盛り上げていたという。
そんな父親の影響もあって、彼は8歳の頃からブルースハープを学び始める。
11歳の時に木の破片で目を傷つけてしまい、片目を失明する。
さらに追いうちをかけるように、16歳の時に友達が投げた鉄片が目に入り、もう片方も失明し完全な盲目になる。
当時のアメリカといえば、まだまだ黒人差別が根強く残っていた時代。
黒人でありながら盲人となった彼は、家業の農作業を手伝うことも出来なくなり、生計を立てるために音楽(ハーモニカ)で生計を立てることを目指す。
そして、23歳を迎えた年に“運命的”とも言える出来事が彼の人生を前進させる。
それは彼と同じく盲目となったギタリスト、ブラインド・ボーイ・フラーとの出会いだった。

「あれは1934年だったかな…俺が路上で演奏しとると、通りの向こうからご機嫌なギターの演奏が聴こえてきたんだ。それで、そいつを演奏している男と一緒にプレイしたいと思って人に言伝を頼んだら、なんと向こうも俺のこと気に入って人(言伝)をよこして来たんだ。それがフラーとの出会いだった。」


フラーの失明の原因は、嫉妬に狂った女が顔を洗う鉢にアルカリ液を混入したためと言う逸話が残っている。
また、フラーと言えば、130曲という(当時では)驚異的なレコーディング数を誇る人気のラグタイム歌手/ギタリストだったが、写真はゴミ箱から奇跡的に発見された1枚しか残ってないという。

Blind Boy Fuller Rough Guide


その後、彼はフラーのバックでレコーディングすることとなり、それをきっかけに伝説の盲目ミュージシャン、ブラインド・ゲイリー・デイビス(レヴァランド・ゲイリー・デイヴィスと表記されることもある)とも知り合い、なんと!!!盲目の3人で路上パフォーマンスをしたというエピソードも残っている。
ゲイリー・デイビスと言えば、フラーなどのブルースマンのみならず、ボブ・ディランやライ・クーダーなど多くのアーティストに影響を与えた人物である。
その後、1941年にフラーが腎臓の手術の失敗で亡くなってからは、フラーの弟子のような存在だったギタリスト、ブラウニー・マギーと組んで活動をするようになる。
ソニーとマギーの二人は1942年からニューヨークに定住するようになり、ウディ・ガスリーやジョッシュ・ホワイト、レッドベリーに並び、当時の盛り上がったいたフォークシーンで頭角を現す。

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その後、1950〜1960年代のフォークムーブメントの波に乗って、ソニーとマギーは白人観衆の間でもその名を馳せてゆく。
そして1986年3月11日、彼は病死によって74歳でその人生の幕を降ろす。
同年、彼の功績が讃えられThe Blues Hall of Fame(ブルースの殿堂)入りが発表された。
子供の頃にハーモニカとの出会いがなければ。
あの路上での運命的な出会いがなければ。
そして相棒マギーとの出会いがなければ。
彼はどんな人生を送っていたのだろう?
神様は時として、ハンディキャップを持つ人に素晴らしい才能とチャンスを与えてくれる。
きっと彼には、我々には見えない“音”が見えていたのだろう。


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