1990年5月16日、サミー・デイヴィスJr.は64歳でこの世を去った。
もともと葉巻を片手にステージに立つほどのヘヴィースモーカーだったことから喉頭癌を患い、ビバリーヒルズにある自宅で静かに人生の幕を降ろした…。
その亡骸はカリフォルニア州グレンデールにある墓地に埋葬された。
歌手であり、俳優であり、ダンサーでもあった彼は、死後何年経っても“史上最高のエンターテイナー”として世界中で愛され続けている。
1925年12月8日、彼はニューヨーク州のハーレム地区でアフリカ系アメリカ人の父とプエルトリコ系ユダヤ人の母の間に生まれた。
ボードビルショー巡業を生業とする一家のもとで育った彼は、幼少の頃から歌やダンスのレッスンを受け、3歳のときにはすでに舞台に立っていたという。
旅回りが多く、学校に通うこともできなかった彼は、通信教育で高校卒業資格を取得する。
「俺のようなチビの鼻まがりのニグロとユダヤの混血には、これ以下ということがないんだ。だから、いつだって俺は昇り坂さ。」
ユダヤ系の血も引く黒人だった彼は、小柄で痩せていて、特にスタイルが良いわけでもなく、けっして美男とは言いがたい容姿だった。
黒人やユダヤ人への人種差別が蔓延していた当時のアメリカの社会において、彼もまたその被害者の一人だった。
19歳で徴兵されアメリカ陸軍に入隊した彼は、第二次世界大戦に一兵卒として参戦したものの、その経歴から最前線の兵士としてではなく、兵士向けのショーなどを行う慰問部隊に配属される。
除隊後すぐにショービジネス界に戻り人気を集めてゆく。
そして1954年、彼は28歳の時に高速道路で交通事故に遭い左目を失明する。
しかし、そんな怪我を物ともせずに同年に初のレコードデビューを果たす。
そのエンターテイメント性と音楽的才能が幅広い層から高い評価を受けて、彼はスターへの階段をいっきに駆け上ってゆく。
空洞だった左目にはアイパッチをつけて活動を続け、その姿も一時は彼のトレードマークとなる。
1956年、30歳でミュージカル『ミスター・ワンダフル』の主演でブロードウェイデビューを果たす。
さらに翌年には映画『ポーギーとベス』でハリウッドデビューも果たし、1960年に『オーシャンと11人の仲間』で、フランク・シナトラやディーン・マーチンといった当時の大スターと共演するまでとなる。
特にシナトラとは大親友になり、以後生涯に渡って“シナトラファミリー”の一員としてステージや映画での仕事をしてゆくこととなる。
後に彼が義眼を入れるようになったのは、イタリア移民の子として、サミーと同じく差別を受けて育ったシナトラの助言からだったという。
歌だけでなく、その抜群のリズム感を生かしたタップダンス、またシナトラからマイケル・ジャクソンまで、世代やジャンルを超えた歌手やエンターテイナーのモノマネ芸も得意とし高い人気を得た。
1963年に初来日して以降、シナトラやライザ・ミネリとの共演を含め、生涯を通じて数回の来日公演を行った他、1973年に放映されカンヌ国際広告祭でグランプリを受賞したサントリーホワイトのテレビCM出演を通じて、お茶の間でもおなじみの顔となった。
彼は、その卓越した芸とダンスと歌の力によって、アメリカの人種差別社会の常識を変えてしまったのだ。
テレビや映画では、黒人は召使い役などしか与えられていなかった当時にあって、黒人で初めてテレビドラマの主役となり、高い視聴率を得たのは彼が初めてだったという。
ステージの上で彼は自分の曲がった鼻を指で持ち上げて「殴られ何度も折られて、上を向かなくなったよ。」とジョークのように語ったという。
そんな彼が40代からこの世を去るまでの約20年間、ステージで大切に歌った“一曲”がある。
その曲の名は『Mr.ボー・ジャングルス』。
後編の②では、サミー・デイヴィスJr.とこの名曲の物語をご紹介します。
↓こちらも併せて是非お読み下さい♪
【サミー・デイヴィスJr.を偲んで②〜“史上最高のエンターテイナー”がステージで歌い続けた落ちぶれた男の歌〜】
http://www.tapthepop.net/day/45582
こちらのコラムの「書き手」である佐々木モトアキの音楽活動情報です♪
宜しくお願い致します。
新作ミニアルバム『You』のタイトルナンバー「You」のミュージックビデオです♪
「Stay Homeのこの日々に…大切な人、友達、家族を思い浮かべながら聴いて下さい♪」
映像編集、ポートレート(写真)撮影共に、佐々木モトアキ本人が手掛けております。
とてもシンプルな技法ですが、何よりも登場する皆さんの表情が素敵です✨
人が“目を閉じている”表情。
その“瞼(まぶた)に浮かんでいる”誰かの顔。
繋がってゆく“一人ひとりの想い”が、100通りの、いや1000通りのドラマを描いてくれています。
〝逢いたい人〟に自由に会えない今。
〝大切な人〟を想いながら過ごす日々。
この歌が、たくさんの人の心に届きますように…
2020年4月22日リリース!!!
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12572525158.html
「どんなに離れていても 何度生まれ変わっても 僕らは巡り逢う」
唄うたい佐々木モトアキの新曲「You」、山善の秀作「一本の赤い薔薇」のカヴァーを含む珠玉の作品集。
遠く離れて暮らす大切な人、男の友情、忘れられない場面、誰かの溜め息、出逢えた奇蹟、長く曲がりくねった道、喜びと悲しみ…どうしようもないこと。
7篇の歌物語に心を重ねて、あなたの大切な人(You)の名前を呼んでみてください。
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