TAP the DAY

追悼・永六輔~本当に死ぬまでは、どんな歌もまだ生きている

2016.08.30

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永六輔は常々、「人の死は一度だけではありません」と語っていた。

人は死者と共に生きている。
死んだ人たちも、人の記憶の中では生きている。
しかし人は歳月とともに少しづつ、死者のことを忘れていく。
だから時々は亡くなった人の思い出話をすることが必要で、それは供養のひとつだと言っていた。

歌も同じだ。
歌も時代を越えて生きていく。
歌が死ぬのは、誰からも忘れられた時だ。
聴く人も、歌い継ぐ人もいなくなったら、歌は死ぬ。

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8月30日に行われた「六輔 永(なが)のお別れの会」には、遺族や生前に親交のあった友人、知人、関係者、そしてラジオのリスナーなどがたくさん参列した。

会場入り口には献花して下さった方たちの名前が展示されていた。
そこに忌野清志郎の名があるのを見て、確かに「みんな生きている」という気持ちになった。

そう、「上を向いて歩こう」が歌い継がれていく限り、みんな生きているのだ。

最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき。
でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。
最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。
そう僕は思っています。
(永六輔 著『永六輔の「お話し供養」』小学館)


では死者を覚えている人が誰もいなくなることが本当の死だとするならば、生きているということはどういうことなのか。

それに対して永六輔は作詞家として、こんなふうに表現していた。

「生きているということは」
永六輔 作詞 中村八大 作曲・編曲

生きているということは 
誰かに借りをつくること
生きていくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら 誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように 
誰かにそうしてあげよう

生きていくということは 
誰かと手をつなぐこと
つないだ手のぬくもりを 
忘れないでいること
めぐり逢い 愛しあい 
やがて別れの日
そのときに悔やまないように
今日を明日を生きよう

人は一人では生きてゆけない
誰も一人では歩いてゆけない


この歌は1974年に発表されたが、元はといえばコンサートのために作られたものだ。

1969年を最後に永六輔が作詞家を辞めたのは、自作自演の若い歌手が登場して来る時代を見越していたからだった。
それから5年が経って予想したとおり、シンガー・ソングライターの時代がやって来た。

永六輔は当時、作曲家の中村八大と二人でチャリティーのために、「99円コンサート」を開いて全国を行脚していた。

それを始めるに当たって中村八大から、これからの社会と時代に向けて大人のメッセージ・ソングを作ることが提案された。
そこで人間としてだれもが一度は考えるであろう、いつかは訪れる死を意識して生を語るという、単刀直入な歌が生まれたのである。

永六輔はふたたび作詞を手がけるようになる。
しかもライブでの評判が上々だったので、40歳にして歌手デビューすることになった。




発売時に東芝EMIが打ち出した宣伝のキャッチコピーは、「五木寛之いわく“まさに説教節!” 二十年の歳月をかけて、名人中村八大が育てあげた手づくりの歌手、永六輔の絶唱!」というものだった。

だが前評判や気迫が、必ずしもヒットと結びつくものではない。
6月5日に発売になった「生きているということは」は、プロモーション活動も熱心に行われたにもかかわらず、残念ながら目標とした数字には届かなかった。

この歌はそれから20数年間、ほとんど忘れられていたと言ってもいいだろう。
ところ2013年の秋になってから、NHKの若いディレクターによって発見された。

そしてこの歌にふさわしい声とキャリアを持ったベテラン・シンガー、上條恒彦がテレビで歌ったところ、たくさんの視聴者からの支持を受けることになり、CD化されることになった。

永六輔と中村八大のコンビによって作られた数々の歌の中には、「黄昏のビギン」(歌:水原弘)のように、1959年に発表されてから約30年間も埋もれていた後に、ちあきなおみのカヴァーによってあざやかに蘇った楽曲もある。

同じ六・八コンビの「上を向いて歩こう」や「遠くへ行きたい」などと並んで、日本のスタンダードになって生きていくのか。
それとも再び忘れられて、いずれ死んでしまうのかはわからない。

本当に死ぬまでは、どんな歌もまだ生きている。
歌を生かすのも殺すのも、聴き手にかかっている。

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