「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the DAY

ウディ・ガスリーを偲んで〜ディランやスプリングスティーンに多大な影響を与え男の功績と“本当に伝えたかったメッセージ”とは!?〜

2018.10.03

Pocket
LINEで送る


ウディ・ガスリーを“アメリカの国民詩人”と定義したのは、日本人の村上春樹だった。
アメリカ人は、彼をプロテストソングの先駆者として、またはアメリカンフォークソングの父としてとらえていたという。


彼は数多くの音楽を作ったが、そのほとんどは“一回限り”のもので、歌い終えれば、端からどんどん忘れていった。
彼は生涯1200ほどの曲をつくったと言われているが、ほとんどは歌詞だけが残されていて、メロディーは記されていない。
ガスリーは音楽というものはメッセージを運ぶ生き物であり、その場の使命を果たせば、そのままどこかに消えていってもかもわないと考えているみたいだ。

(村上春樹)


彼の歌う歌には、圧迫に耐え、それに抗して立ち上がろうとする意志がある。
その歌に耳を傾ける人にとっては、もっと大事なものがそこにある。
それを“アメリカ魂”と呼んでもいいだろう。

(ジョン・スタインベック)

1579561373532

彼の名はウディ・ガスリー。
ボブ・ディランに多大な影響を与えたシンガー・ソングライターで、プロテストソング(政治的抗議メッセージを含む歌の総称)の源流となった人物である。
1950年代以降に出現したアメリカのフォークシンガーたちは、ほとんど例外なくウディ・ガスリーに影響されている。
プロテストソングのルーツを辿ると、彼を起点として→ボブ・ディラン→ブルース・スプリングスティーンと太い動脈のような系譜が繋がる。


そんな彼も、生まれつき反抗的な人間だったわけではない。
幼い頃の彼は、むしろ気の弱い従順な子供だった。
父親と離婚した母親がハンチントン病と云う難病にかかり、自分の感情をコントロールできなかったために、息子のウディに理不尽な暴力を加えた。
彼はそんな母親に対して、愛情と恐れの入り混じった感情で接せざるをえなかった。
いずれにせよ彼は不幸な子供として人生をスタートしたのだったが、だからといって、ひねくれたり、反抗的であったことはない。

彼をプロテストに結びつけたものは、彼の内的な性格と云うよりは、外的な事情だった。
彼が17歳の時に、アメリカは大恐慌に突入した。
だから彼の青年期は、暗い時代環境のなかで過ぎた。
そんな暗い時代を、多感な彼は不安そうに生きたのだ。
1935年、23歳の時に彼が暮らしていたオクラホマが“ダストボウル”と呼ばれる強烈な砂嵐に見舞われた。
砂嵐はオクラホマじゅうの農園を砂で覆い尽くした。
続いてイナゴの大群が襲ってきて、わずかに残った農作物をすべて食い荒らしていった。
彼の周辺で暮らしていた人々は、ことごとく家や農場を売り払って、新しい天地を求め、カリフォルニアへと移住していった。
だがそんな彼らを待っていたのは、非常に過酷な運命だった。
ジョン・スタインベックが『怒りの葡萄』の中で描いたのとまったく同じ運命が、彼の知り合いたちに襲いかかってきたのだった。

彼はカリフォルニアに旅立つ人々に随伴して、故郷のオクラホマを捨てた。
だが彼は別に、金や生活に困っていたわけではなかった。
故郷を捨ててカリフォルニアを目指す人々を見ていると、自分もまたそうしなければ申し訳ないような衝動に駆られただけなのだった。
オクラホマを出発した時、彼にはすでに妻子がいた。
しかし、彼がその妻子の生活を本気になって心配した形跡はないという。
捨てられた妻子は自分たちの力だけで生きていかなければならなかった。

そうした時代の中で彼は、民衆に受け継がれてきた伝統的なアメリカンフォークソング(バラッド)のメロディーにオリジナル歌詞をのせて歌い、また自ら作詞作曲をし始める。
当時のアメリカの音楽はまだ生演奏が主体だった時代。
ラジオとレコードはあるものの、貧しい人々には手が出ず、町のバンドや弾き語りの歌手が身近な存在だった。
彼はコンサートなどで演奏することにより、不況下で厳しい生活を送る不遇で貧しい人々の想いを肌身に感じ、その心情を代弁するスタイルで“音楽の旅”を続けた。
この「わが祖国(This land is your land)」は、そんな時代に作られた歌だったが、国家への讃歌ではない。
それは、そこに生きる人々への励ましと自由への讃歌だった。
また、彼の歌はそれほど政治性が高いものではなかった。
時には理不尽な体制への批判や抵抗を歌ったが、本質的にはすべて歴史で語られることもない人々やコミュニティへの共感から作られたものだった。
古くはスコットランド〜アイルランドのケルト文化に由来するバラッドとは、叙情と叙事を併せ持っている歌なのだが、彼はその中にメッセージ性のある歌詞をもたらした。

薔薇の歌〜My Love is Like a Red Red Rose〜


その創作スタイルは、ボブ・ディランを筆頭に多くのフォーク歌手に受け継がれ、政治性を強めて大きな流れを作ることとなる。



ギター1本を抱えて街から街へ巡業して歌う彼にとって、公民権運動が高まる中でプロテストソングの先駆者として担ぎ揚げられたことは、些か違和感があったに違いない。
なぜなら、彼にとって国家や政府は敵対する対象ではなかったからだ。
彼の歌を聴けば、ルーズベルト大統領やニューディール政策を肯定したことがわかる。彼にとってアメリカは一つのコミュニティであり、まさに“この国は君の国、この国は私の国”と考えていたのだ。

「This land is your land」

この国は君の国 この国は僕の国
カリフォルニアからニューヨークの島まで
セコイアの森からメキシコ湾まで
この国は君と僕のためにつくられた


細く長く続くハイウェイを歩きながら
僕は頭上には果てしなく空が
足元には黄金の谷が広がるのを見た
この国は君と僕のためにつくられた


あてどなく放浪を続け 僕の足跡を追いかけてきた
ダイアモンドのような砂漠の輝ける砂塵を見つけるまで
そしてある声が僕を取り囲んでいた
この国は君と僕のためにつくられた、と


日が輝きながら昇り 僕は歩みを進め
小麦畑は風にそよぎ 砂煙が巻き上がる
霧が晴れてゆく中 ある声が高らかに詠う
「この国は君と僕のためにつくられた」と


歩いていると看板があり
「立ち入り禁止」と書かれていた
だけど裏には何も書いていなかった
そちら側は君と僕のためにつくられた


尖塔の影の中に僕は仲間を見た
救貧院の傍で僕は仲間を見た
彼らは腹を空かしてそこに立ち、僕は問いかける
この国は君と僕のためにつくられたのだろうか


どんな人も僕を止める事はできない
僕がこの自由のハイウェイを歩いていくのを
誰も僕を引き返させる事はできない
この国は君と僕のためにつくられたのだから




※こちらのコラムも併せてお楽しみに下さい♪
■黒人の“ブルース”に呼応したアイルランド系移民の“ハイロンサム”
http://www.tapthepop.net/extra/8023
■ブルース・スプリングスティーンが探し求めたトム・ジョードの亡霊
http://www.tapthepop.net/roots/28390

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the DAY]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ