%e6%ad%a6%e6%ba%80%e3%81%a8%e3%83%8e%e3%83%b4%e3%82%a7%e3%83%b3%e3%83%90%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%83%86%e3%83%83%e3%83%97%e3%82%b9

TAP the DAY

世界に衝撃を与えた武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』は11月9日、小澤征爾の指揮でニューヨークで初演された

2016.11.08

Pocket
LINEで送る

1967年11月9日、ニューヨーク・フィルハーモニックの本拠地であるハーモニック・ホールでは、ベートーヴェンの『交響曲第二番』に続いて、日本からやって来た横山勝也(尺八)と鶴田錦史(琵琶)をソリストに迎えた「ノヴェンバー・ステップス」が演奏された。

作曲したのは武満徹、現代音楽と映画音楽の分野で急速に頭角を現して注目されていた音楽家である。
指揮したのは小澤征爾、20代の若さでニューヨーク・フィルの副指揮者に就いて、すでに全米に知れ渡る名声を得つつあった若き日本人だった。

演奏が終わると観客席では「ブラボー!」の声が飛び交い、拍手は鳴り止まず、大きな反響が巻き起こった。
超満員の会場には武満と面識のある作曲家たちもたくさん聴きに来ていたが、彼らは激賞してそれぞれに感激の言葉を伝えていった。

ニューヨーク・フィルの正指揮者、レナード・バーンスタインは目に涙を溜めて、「なんと強い音楽だ。人間の命の音楽だ」と言った。

武満はそうした賛辞の言葉に「かたい握手で答えるしかなかった」。
そして、こう思ったのだった。
「琵琶と尺八を取り入れたことは、まちがっていなかった」


「ノヴェンバー・ステップス」は日本の伝統楽器である琵琶と尺八を主役にした、二重協奏曲と西洋楽器のオーケストラによる新しい融合音楽で、それまで誰も聴いたことがないものだった。

リハーサルは文化の違いから、最初は難航した。
邦楽の奏者である横山と鶴田はいつものように、正装の羽織袴で参加したのだが、アメリカの演奏家たちは大爆笑した。

その場で武満は泣き出したいほどのショックを受けたという。
ニューヨーク・フィルの人たちに理解を得ることの難しさを感じていたので、その不安が的中した結果になったからだった。

ところがその場で小澤が予定を変えて、新たな提案を出した。
まず邦楽の二人によるカデンツァのパートを、オーケストラのメンバーたちに聴いてもらったのだ。

すると演奏が終わった途端に「ブラボー」の声があがって、リハーサルは順調に進み始めた。




初日から作曲家の武満徹はセンセーションを巻き起こし、「世界のOZAWA」に続いて西洋音楽の世界で最も有名な日本人、「TAKEMITSU」が誕生するのである。

そもそも『ノヴェンバー・ステップス』が生まれるきっかけは、1966年の春に開催された武満徹と一柳慧の企画・構成による現代音楽祭「オーケストラル・スペース」第1回公演に際して、日生劇場の最上階にある国際会議室で初演された『蝕(エクリプス)』という作品にあった。

その琵琶と尺八のための二重協奏曲が、満員の聴衆に異常なまでの感銘を与えたのだ。
それを聴いて大きな衝撃を受けたのが、折しも来日していた小澤征爾だった。

「寒気がして気持ちがわるくなるくらい感動したものだ。
これこそぼくらのしゃべりたい音楽だ、とそのとき思った」


ニューヨークの小澤征爾から武満徹の自宅に電話がかかってきたのは、1966年暮れのことだった。
アメリカ最古のオーケストラ、ニューヨーク・フィル125周年のために、新作を書いてほしいという仕事の依頼だった。

ニューヨーク・フィルは創立125周年を祝う記念音楽会の一環として、現代の作曲家たちに新作を委嘱することにしていた。
小澤は「125周年のプログラムに日本人作曲家の作品を入れたい」という、ニューヨーク・フィルのマネージャーの意向を受けて師に当たるバーンスタインに『蝕(エクリプス)』から受けた衝撃を話した。

そして録音したテープを聴いてもらって同意を得ると、武満を推薦して作品を依頼することが決まったのである。




武満は1967年になってロックフェラー財団の招きを受けたことで、『ノヴェンバー・ステップス』の初演を機に家族で渡米することを決めていた。
期間は1年間の予定だった。

アメリカで11月に初演されることと、邦楽器を用いることが自らのステップになるという意味を込めて、武満はタイトルを英語で「ノヴェンバー・ステップス」とした。

ニューヨークで11月9、10、11、14日と『ノーベンバーステップス』を演奏して絶賛された後、武満たちの一行は11月28日に行われるカナダ公演に向けてトロントへと旅立った。

小澤は1965年9月からトロント交響楽団の音楽監督にも就任していた。
それについてはニューヨーク・フィルのバーンスタインが、「セイジはニューヨークに居て、良いオーケストラだけ指揮するべきだ」と反対していた。

しかし小澤は「いや、今の僕にはレパートリーを作ることが必要なんだ」と、バーンスタインを必死になって説得して、渋々ながら認めて貰った。
その頃のトロント交響楽団響はさほど有名ではなく、評価も芳しいものではなかったのだ。

『ノヴェンバー・ステップス』はカナダでの初演も成功し、12月8日にはトロントのマッセイ・ホールでレコーディングが行われた。

%e3%82%aa%e3%82%b6%e3%83%af%e3%83%bb%e3%82%bf%e3%82%b1%e3%83%9f%e3%83%84

そのLPレコードはメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」とのカップリングで、1968年に『OZAWA:MESSIAEN/TAKEMITSU』というタイトルの2枚組で発売された。

これが世界中の人達に「OZAWA 」と「TAKEMITSU」の名前を知らしめる決定打となったのである。






(注)引用及び参考文献は、小野光子 著「武満徹 ある作曲家の肖像」(音楽之友社)です。






Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク

関連アーティスト

関連するコラム

[TAP the DAY]の最新コラム

このコラムへの感想・コメントを書く

Pagetop ↑