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TAP the DAY

トム・ウェイツOl’55を聴きながら〜父への想い、若き日の路上への憧れ…そしてハイウェイ沿いで目にした光景〜

2016.12.07


時はすぐに過ぎ去ってゆく
俺は急いで愛車の55年製に飛び乗った
ゆっくりと車を出すと神聖な気分になった
ほんとうに生きている感じがしたのさ

今、太陽は昇り
俺は幸運の女神を乗せて走る
高速道路、車とトラック
星は消えはじめ、俺がパレードを先導する
もう少し長居してもよかったかな
神様、そんな気持ちが胸に広がっていくよ


1959年、トム・ウェイツの両親は離婚した。
当時、彼はまだ小学生だった。

「親が離婚したとき、俺はまだ10歳だった。親父はそれから2回再婚して、母親もようやく私立探偵と再婚したよ。」

彼は父親のフランクについてこう述懐している。

「本当にタフな男だった。オレンジ園で眠り…反逆に次ぐ反逆、そんな生き方だった。」

彼は父の名前を自身が80年代に発表したアルバム(3部作)の歌詞の中に度々登場させている。
さらには2004年に発表したアルバム『Real Gone』には「Sins of My Father」という曲を収めた。



あるインタビューで、自分の父親のことを尋ねられた彼は聖書を引用するかのようにこう切り返した。

「俺の親父だろうと、あんたの親父だろうと、親の罪は子に報う。わかりきったことさ。」

両親が離婚すると、彼は母親と姉達とナショナルシティーに移り住んだ。
サンディエゴの外れにあるその町は、面積のほとんどを海軍基地の広大な敷地が占め、常に何千人という兵士が移動の途中に立ち寄っていた場所である。
そんな町で育った彼は青年に成長すると、頻繁に一人旅をするようになる。
車で何時間もかけて父と母の間を行き来していたのだ。
ひたすら高速道路を飛ばしているうちに、いつの間にか“路上を走り回ること”そのものが好きになっていったという。

「初めて自分の車を手に入れたのは14歳の時だったよ。ある意味、アメリカの伝統みたいなもんで、免許を取ることが成人式の代わりなんだ。車を持っててもヒーター無しじゃ冬場はきつい。特に空気は離婚前のかみさんより冷たい時はね(笑)」

また彼はあるインタビューで自分の車遍歴を愛情たっぷりに、こんな風に語っている。

「56年型マーキュリー、55年型ビュイック・ロードマスター、55年型ビュイック・スペシャル、55年型ビュイック・センチュリー、58年型ビュイック・スーパー、黒の54年型キャデラック4ドアセダン、65年型サンダーバード、49年型プリマス、62年型コメット…」


一台一台車種を慈しむように暗唱してみせるその姿は、まるで昔のガールフレンド名簿の朗読のようだったという。
町を飛び出したいという切なる願い、父親とのドライヴという特別な想い出、そして10代の頃に抱いたジャック・ケルアックへの漠然とした憧れからトム・ウェイツは路上に出て行った。
彼にとって路上=自由だった。
車を飛ばし、ラジオのつまみを回しながら何キロも走り続ける。
聴こえてくるのはハンク・ウィリアムス、レイ・チャールズ、ハウリン・ウルフ、チャーリー・リッチ、ジェームス・ブラウン、レッドベリー、フランク・シナトラ、リトル・リチャード…。

「音楽を聴きながらカリフォルニアからニューヨークを目指すんだ。最新型フォードで朝早く出発してね。アメリカって国はとてつもなく広くて、車を一方向に向けたら、それから一週間一度もハンドルを切らなくたっていい。まるで空を飛んでいる気分さ(笑)」

若き日の彼は、路上のどこかで自分の知らない人生を垣間みた。
道の果てのさらに向こう、学校からも居心地のいい郊外からも遠く離れた世界を見たのだ。ハイウェイ沿いで目にした光景は、彼の記憶に鮮明に焼きついていた…。

朝の6時になったら
警告もなしに俺はとにかく帰らなければいけない
トラックはみんな追い越していき
ライトがまぶしかった
こうしてお前のところから俺は帰る

今、太陽は昇り
俺は幸運の女神を乗せて走る
高速道路、車とトラック
星は消えはじめ、俺がパレードを先導する
もう少し長居してもよかったかな
神様、そんな気持ちが胸に広がっていくよ

今、太陽は昇り
俺は幸運の女神を乗せて走る
高速道路、車とトラック
高速道路、車とトラック
高速道路、車とトラック




<参考文献『素面の、酔いどれ天使』パトリック・ハンフリーズ(著)金原瑞人(訳)/東邦出版>

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