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季節の中で〜松山千春の名を全国区にした名曲の誕生には“寂しさ”と“闘志”という伏線があった

2016.12.16

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あれはね、ひとつの流れで出てきた歌だからね。
それまで、いわゆる俺の曲を作るペースの流れから“すーっと”出てきた歌だから、自分ではそれほど印象に残っている歌じゃないね。
それよりも前作の「時のいたずら」の方がずっと印象に残っている。俺は「季節の中で」の伏線は「時のいたずら」だと思っている。


松山千春の人気を全国区にしたヒット曲「季節の中で」は、1978年8月21日にリリースされ翌月の下旬にはオリコンシングルチャートの30位をマークし、発売から3ヶ月後にはキャリア初の1位を獲得、その後6週間に渡ってトップを独走し続けた結果累計売り上げでミリオンセラーを達成した。
まさにシンガーソングライター松山千春をメジャーな存在に押し上げるきっかけとなった楽曲と言っても過言ではないだろう。
この名曲は一体どんな経緯で作られたのだろう?
そこには“伏線”となった歌が存在したという。
1977年11月25日、彼はデビュー以来3枚目となるシングル曲「時のいたずら」をリリースした。
その発売の前月から彼はニッポン放送の人気深夜番組『オールナイトニッポン』二部のパーソナリティーに起用されたばかりだった。
それまでは地元・北海道での人気はすさまじかったものの、全国的なネームバリューはほとんどなかった彼。
ラジオでのレギュラー出演を通じて全国進出への可能性が見えてきはじめて、北海道の足寄と東京を行き来する生活が始まった。
順風満帆かと思いきや…実は本人の心には暗雲が立ちこめていたという。
当時、所属事務所のない彼のマネージャー的存在だったSTVラジオの竹田建二ディレクターが同年の夏に急性心不全で急逝してしまったのだ。
それまでまさに“二人三脚”で歩んできた人を亡くし、彼はショックを受けていた。
番組収録の時は、一人で足寄から千歳空港まで行き東京行きの飛行機に乗り、朝の5時過ぎまで番組収録をこなし、寂しくホテルに泊まるという生活。
彼は当時のことを、こんな風に述懐している。

その頃に「時のいたずら」を書いたのかな。
竹田さんが亡くなって一人になってしまった気分だった。
番組出演を終えて、ニッポン放送から晴海にある“ホテル浦島”へ帰ってきて…部屋の窓から外をのぞいたら凄く風が強くて…なんだか寂しくなってきたわけ。
竹田さんがいなくなっちゃうし、俺がなんで一人でこうやって東京へ来て、こんな夜明けにこうやっていなきゃいけないんだろう?ってね。
そんなことを考えながら、頭がこんがらかって出来た歌なんだよ。
そういう意味で、凄く印象に残っている歌なんだよ。




その後「時のいたずら」はスマッシュヒットする。
反応があったことで、彼は闘志を燃やしはじめたという。
そして続くシングル「青春」を経て、いよいよ5枚目となる勝負作の製作に取りかかった。

「季節の中で」は初め曲だけできていたんだよ。
あれは足寄にいるころ出来た楽曲でね。
当時、我ながらいい曲だと思ったね(笑)
イントロ後に急に“めーぐるー”って高くなるじゃない。
これは画期的な歌だと思ったね。
詞をどうしようかと思っているときに、倉本聰さんのところに行ったわけ。
STV創立二十周年用に倉本さんが脚本を書いたテレビドラマ『一年』の話があって、俺も音楽を担当することになってもんだから、そのフィルムを観せてもらったわけ。
そうしたら急に詞ができたんだよ。


そのとき彼が観た画面には、汽車に乗っている一人の女性が映っていた。
その女性は何か物思いにふけりながらうつむいている。
汽車はそんな女性を乗せてひたすら原野を走る。
そして突然,汽車の窓から広々とした海岸の景色が飛び込んでくる。
彼はそこで「これだ!」とインスピレーションがひらめいたという。

もうその瞬間に「うつむきかけたあなたの前を静かに時は流れ」という最初のフレーズが出来ていた。
あとはもう言葉を捜すだけだった…。



<引用元・参考文献『フォーク名曲事典300曲』/富澤 一誠(ヤマハミュージックメディア)>

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