%e9%89%84%e8%85%95%e3%82%a2%e3%83%88%e3%83%a0

TAP the DAY

『鉄腕アトム』①~日本で最初のアニメソングはどうして詩人の谷川俊太郎が手がけることになったのか?

2017.01.01

Pocket
LINEで送る

手塚治虫原作の漫画『鉄腕アトム』のTVアニメ第1作がフジテレビをキー局に、関西テレビ、東海テレビ、九州朝日放送、仙台放送、広島放送の6局で始まったのは1963年1月1日である。

オンエアが始まる少し前の11月5日と6日の二日間、東京・銀座のヤマハホールでは「第1回虫プロダクション作品発表会」が開催された。

そこで上映されたのは『鉄腕アトム』の第1話、台詞のない映像と音だけの実験的なアニメーション作品『ある街角の物語』、それに3分間のカラー小品『おす』だった。

当日の会場で配布されたパンフレットには、アニメに賭ける手塚の意気込みと希望が記されていた。

動画映画の製作はテレビの普及とともに、CMなどでさかんになったとはいえ、そのコスト高と製作日数などの関係から、日本ではまだまだ敬遠されている状態です。でも日本には、戦前から数多くのプロダクションがありましたし、技術的にも、決して外国の作品に劣らないちからをもっていると信じます。
諸先輩方や、同じ道を歩む友人諸氏のご指導や、ご声援にこたえて、微力ながらも、ひとつの道標を築くことができればさいわいです。


幻想的な映画詩とでもいうべき『ある街角の物語』は、表現の可能性に挑んだ手塚が原案と構成を担当し、私財を投入して製作したフル・カラー38分の意欲的な作品。
それにオーケストラを使ったオリジナル曲をつけることになったのは、NHKの学校放送や新宿コマ劇場での舞台音楽などを手がけていた音楽家の高井達雄だった。

高井は打ち合わせの時、手塚からこういう意見を言われたという。

ウォルト・ディズニーは映像を補足するのが音楽だというが、自分は映像と音楽は対等だと思う。

手塚はチャイコフスキーやバッハ、モーツァルトなどのレコードの他、自分でもピアノを弾いて音楽のイメージを高井に伝えてきた。
高井はそれに応えて半年以上もの時間をかけてワンシーンごとの譜面を書き、手塚と確認し合いながら『ある街角の物語』の音楽をていねいに完成させていった。




手塚は非商業的な芸術作品といえる『ある街角の物語』と同時進行で、国産初の商業的な娯楽作品である『鉄腕アトム』にも取り組んでいた。
これは少人数のスタッフと低予算であってもアニメを作ることが出来るはずだと、虫プロダクションの経営を軌道に乗せるために引き受けた仕事だった。

しかしオンエア開始を目前に控えて、まだ自分がイメージした音楽にならないことで手塚は困っていた。
そこで高井に頼んだこともあったのだが、そのときはきっぱりと断られてしまった。
『ある街角の物語』の仕上げに全力投球していた高井にしてみれば、それ以外の仕事を引き受けるなど論外だったのである。

だからヤマハホールの上映ではフィルムに音付けが間に合わず、手塚が選んだリカルド・サントスのレコードなどの音源から「ホリデー・イン・ニューヨーク」など、気に入った音楽を録音したテープを音声テープと同時に流して急場をしのいだのだった。

発表会から数日後、高井は虫プロダクションに呼ばれて出向いた。
そこで手塚から、「ボクの世界を誰よりも知っている高井さんに、あらためてまた主題歌をつくっていただきたいのです」と頼まれた。
翌日の朝9時までに3タイプの主題歌を作ってほしいという、無謀ともいえる要望だったが高井は引き受けた。

そして帰りの電車の中で窓から夜空を見ていると、インパクトのあるイントロが閃いたという。
すぐにメロディも浮かんで、まず1曲が完成した。

高井は約束通り、翌朝には3曲の譜面を持って手塚のもとを訪れた。
最初に電車の中でひらめいたのA案のほか、B案とC案のなかから手塚が自分でピアノを弾いて選んだのはA案だった。

ところが朝10時から始まったテレビ局やスポンサー、代理店との打ち合わせの場で、A案は手塚以外の全員に反対された。

「子どもにはシンコペーションのリズムは難しすぎる」
「コード進行が子どもにはなじまない」
「子どもが習っている縦笛で吹くことができない」


だが「映像と音楽は対等だと思う」というだけあって、手塚の音楽に対するこだわりは生半可なものではなかった。
喧々諤々の話し合いを断ち切るように、手塚の強いひと言が放たれた。

「もしA案がダメなら、ボクはアトムの放映をとりやめます」

こうして主題歌はひとまず決定することになったが、手塚が安易な歌詞で納得するはずもない。
ぎりぎりのタイミングでようやく決まったために、最初の頃は歌詞のないインストによるテーマソングが流されることになった。




歌詞がつけられるのはオンエアが始まってからのことで、きっかけは手塚が作詞を頼みたいと思える適任者と出会ったことだ。

手塚が高井にこんな電話をかけてきた。

「昨夜のパーティーで、宇宙とひとり向き合う少年の心を、みずみずしく表現した『二〇億光年の孤独』という詩集と、詩語がとても新鮮な『六十二のソネット』を出している谷川俊太郎さんという方にお会いしたのです。さっそくお話して、主題歌の作詞を依頼しました。電話がありますから、よろしくお願いします」


そして谷川からも電話があり、高井はメロディをピアノで弾いたテープと譜面を送った。
数日後、谷川はできた歌詞を電話で読み上げてくれた。

それを聴いた高井は一か所、「やさしい心」とあったのを「心やさし」に変えてもらったが、それで決定稿とする。
もちろん手塚も満足で、それから歌詞入りのオープニングが流されたのだった。

谷川は約40年後、高井の作品集の前文にこんなメッセージを寄せている。

私の作詩した歌の中で、こんなに愛された歌は他にありません。
〈略〉
実を言うと、「ラララ」は窮余の一策でした。ところがカラオケなどで皆が歌うと、思いがけずそのラララが生きるのです。歌は言葉の意味だけではないと学んだことも、アトムの歌からです。





〈参考文献〉橋本一郎 著「鉄腕アトムの歌が聞こえる ~手塚治虫とその時代~」 (少年画報社)

〈参考コラム〉アニメ作品が生んだ名曲たち「鉄腕アトム」〜作詞者・谷川俊太郎の戸惑いと驚き〜 http://www.tapthepop.net/news/37582

Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク

関連アーティスト

関連するコラム

[TAP the DAY]の最新コラム

このコラムへの感想・コメントを書く

Pagetop ↑