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ギターが弾けないのにギターで世界を変えたレオ・フェンダー

2017.03.21

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「テレキャスは馬車馬、ストラトは競走馬とか種馬って感じだな。
どっちも素晴らしい機械だが、それを作ったレオ・フェンダーのことを話すってなると難しい。(中略)
カリフォルニアのフラートンでギターを作って、俺たちが聴く音楽を変えちまった男の話だぜ。
ほんとにとんでもないヤツだよ」
(キース・リチャーズ)


これはフェンダー社の創設者、レオ・フェンダーが2009年に、技術面で音楽に多大な貢献をもたらした人物に贈られるテクニカル・グラミー賞を受賞した際に、キース・リチャーズが送った賛辞だ。

ジミ・ヘンドリックスが使用したことで一気に広まり、今やロックギターの代名詞とも言える存在となったストラトキャスター。

ジェームズ・バートンやジョー・ストラマー、ジミー・ペイジ、キース・リチャーズなどが使用し、幅広い層から支持されて続けているテレキャスター。

その他、数多くのギターやベースを生み出たレオ・フェンダーが、ロック・シーンにもたらした貢献は計り知れないほど大きいが、自身はまったくと言っていいほどギターが弾けなかったという。

本名、クラレンス・レオニダス・フェンダーがカリフォルニアのフラートンで生まれたのは1909年の8月10日のことだ。
幼い頃から機械や工具が好きだったレオが、10代のときに夢中になったのがラジオだった。
アメリカでラジオの公共放送がスタートしたのは1920年。
大統領選挙の開票を中継したことにより人々の関心を集めると、次々に新しいラジオ局が開設してラジオも爆発的に売れ、あっという間にラジオはアメリカ社会に普及する。
レオもまた13歳のときに叔父からラジオのキットをもらうと、遠くから音楽が届けられることに感動し、ラジオを作ったり修理したりするのが趣味になっていった。

レオは大学を卒業してから簿記の仕事に就いたが、その一方でラジオなど機械の修理をするという趣味は続いており、時には知人のバンドマンに頼まれてPAシステムを作るほどの知識と技術を持っていた。

そうした趣味が高じてレオは1938年にフェンダー・ラジオ・サービスをスタートさせる。
表向きにはラジオの修理が専門の会社だったが、地元のミュージシャンにフルアコースティックギターやアンプの修理を頼まれることも多く、レオ自身もギターやアンプに興味を持つとともに、持ち前の知識でそれらの問題点や改善方法を見つけては改良してみせるのだった。

やがて弦の振動を拾うピックアップやアンプなどを自分で製作するようになり、1944年にはソリッド・ボディのラップ・スティール・ギターの特許を取得して販売し始める。



1946年には社名をフェンダー・ミュージカル・インストゥルメンツ・コーポレーションに改め、本格的にギターやアンプの製造に取り掛かる。

そして1950年、今なお多くのギタリストに愛用されているテレキャスターの販売を開始した。当初はレオが好きだったラジオからとってブロードキャスターという名前だったが、同じ名前のドラムがあることが分かり、テレビから名前を借りてテレキャスターに改名した。

テレキャスターは、当時まだ一般的ではなかったソリッド・ボディ(中がアコギのように空洞になっていないボディ)を採用している他、革新的なアイディアが数多く盛り込まれていた。
他のエレキギターとは一線を画したその斬新なギターに、懐疑的な声を上げる者も少なくなかったが、音の良さはもちろん、優れたメンテナンス性やチューニングのしやすさなどで評判を呼び、すぐにフェンダー社の主力商品となる。
そしてテレキャスターの普及により、ギブソン社など他のギターメーカーもソリッド・ボディのギターに本格的に着手するのだった。
テレキャスターとレオ・フェンダーは、今日では当たり前となったソリッド・ボディのギターを定着させた立役者といえる。



1954年にはストラトキャスターを販売するなど、その後も次々と画期的な楽器を生み出していったレオ・フェンダーだが、その生涯は1991年の3月21日に幕を閉じる。
亡くなる直前まで新しいギターの開発に取り組んでいたというレオは、妻にこう言葉を残したという。

「私が世界中のアーティストにしてあげられる事は全部やりきったよ」


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