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フランク・シナトラが死んだ時、アメリカでは異例の形で哀悼の意が表された

2017.05.14

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「長年に渡って一番の親友だった彼は、偉大なストーリーテラーにして、とてつもないミュージシャンだった。若い頃にはギャングのようにふるまったこともあって…色々と誤解もされてきたけれど、本当の彼はそうではなかった。彼には優しさと人を想う心があった。」(トニー・ベネット)

「オリジナルで偉大なイタリア人、偉大なアメリカ人、そして素晴らしい役者だった。」(マーティン・スコセッシ)

「深い寂しさをたたえた彼の声は僕に大きな影響を与えた。彼の声は行儀の悪さやセックス、そしてこの世の哀しさに満ちていた。」(ブルース・スプリングスティーン)



1997年の年明け早々、フランク・シナトラは心臓発作を起こしてロサンゼルスのセダース・サイナイ・メディカルセンターに入院することとなった。
その後、一般及びマスコミの前に姿を見せることはなくなり、自宅での治療に専念した。
しかし翌1998年5月14日にビバリー・ヒルズの自宅で寛いでいる時に気分が悪くなり、再び同メディカルセンターに運び込まれ…午後10時50分に臨終を宣告され、82年の人生に幕を降ろした。死因は心臓発作。

“I’m losing.”


エンターテインメント界の帝王“ザ・ヴォイス”と呼ばれた男フランク・シナトラが最期に口にした言葉だったという。
彼が亡くなった翌15日の夜、ラスベガスでは1分間すべてのネオン・照明が消され黙祷が捧げられた。
ニューヨークでは、ヤンキースタジアムでの試合の前に黙祷が捧げられ、エンパイア・ステートビルはライトをブルーに変え哀悼の意を表した。
ロサンゼルスにあるキャピトルレコードの本社には黒いバナーが掲げられた。
18日にはシナトラの生まれ故郷ニュージャージー州ホーボーケン市の教会に集まった人々が「マイ・ウェイ」を歌い悲しみに暮れたという。


通夜は5月19日の午後7時半からビバリーヒルズのグッド・シェパード・ローマン・カトリック教会で執り行われた。
通夜には遺族や親しい友人たち約200名が参列し、その棺には彼が好きだったガーディニアの花が1000本も飾られたという。
翌20日に葬儀が行なわれ、グレゴリー・ペック、トニー・ベネット、ボブ・ディラン、ポール・アンカ、クインシー・ジョーンズ、ライザ・ミネリ、トニー・カーチス、ジル・セント・ジョン、ジャック・ニコルソン、ソフィア・ローレン、カーク・ダグラス、ロバート・ワグナー、ミア・ファロー、ナンシー・レーガン(元大統領夫人)など、各界から約700名のセレブリティたちが参列し彼の死を悼んだ。
教会の外では1000人を超えるファンや報道陣が集まり、警察が規制にあたるほどだっったという。
息子のフランク・シナトラ・ジュニアは、葬儀の最後のスピーチで父にこんな言葉を贈った。

「ヴァレンティーノの磁気と、ジェームス・ディーンの素っ気ない色気と、マリリン・モンローのセクシーさと、エルヴィス・プレスリーの魅惑を兼ね備えた人だった。しかし4人と違うのは、円熟の年齢まで生きたことだ。」

そう語った後に、締めくくりの言葉として…1983年にハリー・ジェイムスの葬儀でシナトラが去り行く友に贈った台詞を引用した。

“Thanks for everything.So long,buddy,and take care of yourself.”
(今まで色々ありがとう!じゃあな!兄弟!気をつけて!)


葬儀の後、遺族と共に自家機でロサンゼルスから南カリフォルニアのパームスプリングスに向かった棺は、彼の両親が眠る墓地(デザート・メモリアル・パーク)に葬られた。
生前シナトラにはアメリカ国民として最高の栄誉である“大統領自由勲章(Presidential Medal of Freedom)”と、アメリカ議会ゴールドメダルが贈られていたため、墓地までの道のりを海兵隊の儀仗(ぎじょう)兵が棺をエスコートし、埋葬の際にはフランク・シナトラ・ジュニアにアメリカ国旗が手渡れたという。
そして、その墓碑にはこんな言葉が刻まれている。

“THE BEST YET TO COME(お楽しみはこれからだ)”




<参考文献『シナトラ〜My Way of Life〜』三具保夫(駒草出版)>

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