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武道館公演を観て「ビートルズは自分がやらなければいけない」と決意し、解散後に実行してみせた石坂敬一

2018.07.02

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日本武道館で1966年6月30日から7月2日まで合計5回行われたビートルズのコンサートは、会場に観に来た人たちの人生にもまた大きな影響を及ぼした。
7月1日に大学の授業を休んで観に行った石坂敬一は、ライブが終わった後で将来はビートルズの仕事をするということを決めたという。

遺作となった語り下ろしの自伝「わがロック革命 それはビートルズから始まった」(2017年)で、石坂はコンサートが終わった日の気持ちをこんなふうに書き残していた。

その日の夜、日本テレビで放送された『ビートルズ日本公演』の特番を見た。楽しみにしていたにもかかわらず、家のテレビは14インチか16インチで、しかも白黒だったので全然迫力がなく、少しがっかりした。会場であれだけ大きな音で鳴り響いていたポールのベースの音が、テレビではほとんど聞こえなかった。ただ、ビートルズを乗せた車が交通規制された首都高をパトカーの先導で走り抜けるシーンで流れた「ミスター・ムーンライト」は、強烈なインパクトがあった。


その翌日、大学に行ってまわりの人間にビートルズの武道館公演に行った話をしても、「へー、そうなんだ」という感じで誰もそれ以上の関心を示さなかった。
そういう経験がその後、もっと多くの若い人にビートルズの素晴らしさと奥の深さを、正しく伝えなければならないというディレクターとしての根本に繫がっていくのだ。

石坂はビートルズの音楽を研究すると同時に、イギリスの歴史をあらためて一から勉強し始めた。
それはイギリスという国の文化の裏側を知らないと、ビートルズの音楽の本質を理解できないと思ったからだった。

ビートルズのメンバーたちはアイルランド系が多く、全員が第2次世界大戦に人生を翻弄された親たちの間に生まれた子供だ。
ではイギリスにとっての第二次世界対戦とはどういうもので、戦時下のイギリス庶民はいったいどういう生活をして何を感じていたのか。
そして、戦後になってからはどんな気持ちで生きたのか。

アメリカに対する複雑な思いを持っていたイギリスの若者たちが、ロックンロールやR&Bを通して、アメリカでは無視されていたブルースに興味を持つようになった理由についても、石坂はイギリスの歴史と文化を知ったことから理解できるようになった。

もともとイギリスとは縁がなかったロックンロールが、エルヴィス・プレスリーの影響でクリフ・リチャードやトミー・スティール、 ジョン・レイトン といったフォロワーを輩出し、彼らが活躍したことで確かな地盤ができていったという流れも知った。
またビートルズがイギリスという国の歴史に果たした功績として、ヴィクトリア朝の伝統を壊したということがきわめて重要な意味を持つという結論にも達した。

ビートルズのレコードを発売していた東芝音楽工業の臨時入社試験で、石坂は英語で文章を作りなさいという問題が出たときに、答案用紙の冒頭で「アメリカに行った人ならわかるが」との但し書きで、”Dirty Is Beautiful”と書いたそうだ。

これは当時のヒッピーの金科玉条。僕の理解するビートルズも、この言葉に象徴されていた。
彼らの音楽には、汚いものを美しいと愛でるような、皮肉っぽい体質が最初からあった。
でも入社試験の担当者はわからなかったらしい。
入社試験では自分の知識を全部書こうと思っていた。問題にないことでもとにかく書いて自分をアピールした。
面接では「入社したら何がやりたいか?」と訊かれたので、「制作、究極は邦人アーティストの制作、まずやりたいのは制作と宣伝販促、ザ・ビートルズをやりたい」と言って締め括った。


石坂は慶應義塾大学を卒業した1968年4月、TBS系列の音楽出版社「日音」に入社して著作権ビジネスなどを学んだ。
そして知り合いだった高嶋弘之ディレクターの紹介で、ビートルズのレコードの発売元である東芝音楽工業に途中入社する。

そこからはまず洋楽マンとしてのキャリアをスタートさせて、ビートルズ担当のアシスタントとなって関わりを持ち始めた。
武道館の観客席で考えたことに、彼は少しづづ近づいていったのである。

1969年1月に発売された『ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)』を手伝って、「変わり者だがよく働くヤツ」と認められてからは、解散後に出た4人のソロアルバムまでをサポートしていった。
その間に担当ディレクターとしてピンク・フロイドの『原子心母』やT・レックスの『電気の武者 』などを成功させて、数々のヒット作をものにしている。



念願だったビートルズの仕事に関して特筆されるのは1972年に2枚のベスト・アルバムが発売になったとき、その凄さを伝えるために文学的な面からと音楽的な方向から評論することによって、価値を高めることで記録的な大ヒットに結びつけたことだろう。

「赤盤」「青盤」と呼ばれた『ビートルズ 1962-1966 』と『ザ・ビートルズ 1967-1970』は、それぞれ100万枚をこえるベストセラーになった。
これによってビートルズの評価が決定的なものとなり、彼らは日本でもっとも愛されるバンドのひとつになった。



ところで石坂が武道館のコンサートの客席で驚いたのは、1曲めが「ロック・アンド・ロール・ミュージック」だったことだという。
その頃の来日公演はどのアーティストも、わかりやすいヒット曲や代表曲を中心に構成していた。
しかし、ビートルズはたくさんある大ヒット曲をほとんど演奏せず、シングルのB面に入っていた地味な曲や、アルバムのナンバーを演奏していたのだ。

それによって石坂は彼らが芸能人やショーマンではなく、真剣に音楽を追求しているアーティストだということがわかったという。
イギリスから始まって世界に広まった音楽革命の根底には、そうした新しい考え方が間違いなく結びついていることを後に知ることになる。




(注)本コラムは2017年7月1日に公開されたものの改訂版です。

石坂敬一『我がロック革命: それはビートルズから始まった』(単行本)
東京ニュース通信社


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