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ゆりかごの歌〜わんぱく坊主だった作曲家が生み出した珠玉の子守唄

2017.09.20

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この「ゆりかごの歌」は、日本を代表する詩人・北原白秋が作詞をし、草川信(くさかわしん)という作曲家がメロディーを紡いだ子守唄である。
1921年(大正10年)に、雑誌『小学女生』8月号で発表されたのが初出。
子守唄のことを別名で“揺籃歌(ようらんか)”とも言いい、文字通り揺籃(ゆりかご)をモチーフに歌われたこの曲は、大正時代から現在に至まで広く親しまれてきた。
この「ゆりかごの歌」は、発表時『揺籃の歌』と表記されていたという。
童謡なのに難しい漢字が使われていたのは、当時の教養ある良家の婦女子が読む詞だったからだと言われている。
子供が歌う童謡というよりも、母が子に歌って聴かせる“子守唄”だったからなのか。
この“子守唄”について調べると…いつくかのジャンルがあるという。
「遊ばせ唄」「あやし唄」「手まり唄」そして「寝させ唄」という4種に分類されている。
この「ゆかかごの歌」は、典型的な「寝させ唄」となる。
サビに出てくる“ねんねこ”という言葉は、江戸時代からわらべ歌等に登場していたフレーズだという。
北原白秋は、そんな古くから伝わる言葉と“カナリヤ”や“びわの実”そして“木ねずみ”“黄色い月”など、詩的な単語を巧みに重ね合わせて美しい世界観を作り上げている。

ゆりかごの歌を カナリヤが歌うよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごの上に びわの実がゆれれるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごのつなを 木ねずみがゆするよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごの夢に 黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ


草川の優しいメロディーとあいまって、この歌は童謡の枠を超えて“芸術歌曲”として称えられてきたのだ。
第二次世界大戦後、教科書の編纂(へんさん)が文部省から民間出版社に変わったことを機に「平和になった社会を守る子供たちに」という願いから、学校でも歌われるようになった。
1967年にNHK『みんなのうた』でボニージャックスが歌い、近年では2011年に夏川りみが新録バージョンをリリースしている。
北原白秋の生誕の地、福岡県柳川市では毎日午後6時になると防災スピーカーからこのメロディーが流れるという。


──では、この「ゆりかごの歌」の他、「夕焼け小焼け」や「汽車ポッポ」など“日本人なら誰もが知っているメロディー”を生み出した草川信とはどんな人物だったのだろう?
1893年、彼は信州の長野県にある善光寺の近くで生まれた。
1913年に東京音楽学校に入学し、バイオリンとピアノを学ぶようになる。
その時のピアノの師が「靴が鳴る」や「雀の学校」の作曲者として知られる弘田龍太郎だった。
弘田との親交をきっかけに、彼は卒業後、東京で教員をしながら雑誌『赤い鳥』の童謡運動に参加する。
1921年に「夕焼け小焼け」を作曲し、童謡作曲家としてその名を知られるようになる。
その後も「どこかで春が」「汽車ポッポ」、そしてこの「ゆりかごの歌」など、バイオリン奏者らしい流れるような旋律による親しみやすく印象深いメロディーを多数生み出してゆく。
幼少のころの彼は、とてつもないわんぱく坊主だったという。
ドジョウを取ろうとして田んぼの畦(あぜ)に穴をあけ、水を滝のように流れ出させてしまって田んぼの持ち主にこっぴどく怒られたり、おつかいで酒を買ってきた少年の酒瓶を割って泣かせたり、大石を背後の山から転がしてお寺の屋根に穴を空けたり、ほうきの柄でオルガンの鍵盤を力いっぱいグリッサンドし、黒鍵をすべて折ってしまったり…。
後に彼が創り出す優しいメロディーからは、そても想像できないエピソードが自伝に綴られていたりする。
そんなわんぱくな少年時代の想い出を曲に投影しているからこそ、彼のメロディーは聴く者にどこか懐かしい風景を思い起こさせるのかもしれない。


<参考文献『唱歌・童謡120の真実』竹内貴久雄(著)/ヤマハミュージックメディア>

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