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1985年を過ぎたら演奏しないつもりだったブルーハーツ初の自主制作盤「1985」

2017.12.25

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(写真・井出情児)

1985年に甲本ヒロトと真島昌利 の二人を中心に結成されたザ・ブルーハーツは12月25日、年の瀬も押し迫ったクリスマスの日にライブを行った。
そして会場にきた観客全員に「1985」という曲を録音した自主制作のソノシートをプレゼントし、その曲をライブでも演奏した。

ブルーハーツの誕生と「1985」について、甲本ヒロトはインタビューに答えてこう語っている。

ブルーハーツ組んだ年なんですよ。
その年に“1985”っていう曲を作ったんです。
で、それはもうブルーハーツ元年。
日本のロック元年だと、僕は、その時もまだ誇大妄想狂だから(笑)。
ロックンロールにおける日本代表・ブルーハーツだと思ってたわけですよ。
ライブ・ハウスでやってるくせに(笑)。
そう思ってたからね、そういう曲を作ったんですよ。
で、その曲をもう1985年過ぎたら演奏しないつもりだったんです。
で、じゃあ残すんなら今しかないなと思って、録音してソノシートを作ったんです。


しかし「1985」は最初に公になった音源にもかかわらず、1995年に解散した直後に出たベスト・アルバム『SUPER BEST』に収録されるまで、長らく幻の曲となった。



1985年という年は「いじめの時代」の幕開けである。
全国の小・中学校で「いじめ」が横行しているというニュースが何度もとり上げられ、「いじめ自殺元年」ともいわれた。

そして8月12日には世界最大の航空機墜落事故が起きている。
日航ジャンボ機に乗っていた540人の命が奪われたが、その中には日本でただ一人、全米チャート1位に輝いた「SUKIYAKI」を歌った坂本九がふくまれていた。

日本という国が「帳簿上」だけの金持ちという奇妙な状況に放り込まれて、「経済至上主義の時代」が始まったのも1985年からだ。
ニューヨークのプラザホテルで行われた日・米・英・仏・西独による先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議で、ドル高是正のため各国が為替相場に協調介入することで合意した。

アメリカの貿易赤字と日本・西独の貿易黒字による国際収支の不均衡を、円高ドル安を容認することで是正しようとするのが目的だった。
その結果、物を消費することが日本政府によって奨励されて、知性を欠落させた「大衆の時代」が始まっていく。
それが1990年代のバブル崩壊にまで、土地本位制とともに突き進んでいったのである。

「1985」の歌詞に織り込まれていたのは、目には見えてこない恐怖や危機に対する警鐘だった。



1980年12月1日発売のアルバム『SURF&SNOW』で、松任谷由実は「恋人がサンタクロース」を発表している。
それは大ヒットした映画『私をスキーに連れてって』の挿入歌に使われたこともあって広く浸透し、山下達郎の「クリスマス・イブ」と並ぶ国産クリスマス・ソングの定番曲になっていく。

それから5年後、ブルーハーツは「サンタクロースのおじいさんの命が危ない」と叫んだ。
そして、その叫びを「1985年だけの曲」だとして自ら封印する。


「1985」の最後に甲本ヒロトは、ブルーハーツ元年が日本のロック元年だという宣誓を述べている。



「1985」はそれから32年の歳月を経た2017年の12月に「THE BLUE HEARTS アナログEP17枚組BOX」として、当時と同じソノシートによって再現されている。


THE BLUE HEARTS『シングル・レコード ボックス・セット』 [Analog]
徳間ジャパンコミュニケーションズ


(注)甲本ヒロトの発言は1992年5月号「Rockin`On Japan」の「20000字インタビュー ヒロトのすべて!!」からの引用です。


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