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北国の春〜東京暮らしのコタツで綴られた歌詞、たった数分間で紡がれたメロディー

2018.03.21

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白樺 青空 南風
こぶし咲くあの丘
北国のああ北国の春
季節が都会ではわからないだろと
届いたおふくろの 小さな包み
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな


それは1977年1月の出来事だった。
新聞やテレビでは、あの“戦後最大の疑獄事件”とも言われたロッキード事件丸紅ルート初公判に関するニュースが連日取り上げられていた。
そんな中、正月早々から戦後歌謡界を代表する作曲家の遠藤実のもとに曲の依頼が届く。
それは、演歌歌手として着実にキャリアを重ねていた愛弟子・千昌夫の新作(シングル盤)に収録するための2曲。
遠藤がすでに紡いでいたメロディーに、当時遠藤のマネージャー的な役割を担当していた作詞家いではくが新たに歌詞を乗せた「東京のどこかで」という歌がメインのA面曲に決まろうとしていた。

「B面については任せるよ。君が好きな歌詞を書いていいから。」

その頃まだ作詞家として駆け出しだったいでは、その言葉を鮮明に憶えているという。

「4月発売が予定されていたので、僕は春の歌にしようと思いました。歌の主人公は、都会で暮しながら故郷を想う男。僕は自分が子供の頃に春の訪れをどんなものから感じていたのか思い起こしたんです。」

その時、いでの心に浮かんだのは自身の故郷である長野県佐久地方の風景だった。
八ヶ岳から吹きおろす北風が冷たく、積雪量も多いその地で冬を過ごす環境は(時期によっては)北国さながらだという。
ある日、温かい南風が吹いて気温が緩むとこぶしの花が木いっぱいに咲きだす。

「白いこぶしの花は、待ちに待った春の訪れを告げる合図なんです。」

いでは当時東京暮らしのコタツの上でペンを走らせた。
まるで映画の回想シーンのように「春」と「故郷」を連想させる名詞を並べながら書き上げていった。

雪どけ せせらぎ 丸木橋
落葉松の芽がふく
北国のああ北国の春
好きだとおたがいに言い出せないまま
別れてもう五年 あのこはどうしてる
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな


担当ディレクターの和田弘(徳間音楽工業)は早稲田大学時代の後輩にあたるいでの才能と実力を買っていた。
1月某日、都内ある遠藤の自宅にて、千、いで、和田、そして編曲担当の京建輔が集まって新作シングルに関する最終的な打ち合わせが行なわれた。
新年の挨拶もそこそこに、遠藤はこう切り出した。

「B面の歌詞は?」

いでは出来上がっていた歌詞を遠藤に手渡す。
遠藤はその歌詞に目を通した直後、思わぬ言葉を口にする。

「ちょっと水割りでも飲んでてくれ!」

そう言うと、2階にある仕事部屋にトントントンと駆け上がって行って…10分もしないうちに「できたぞ!」と声を上げたという。
遠藤はその時のことを著書『しあわせの源流』にこう綴っている。

「疎開先だった新潟の春の情景が鮮やかに浮かび上がってきました。貧しかった少年時代。雪が枕元に吹き込む小屋での生活。雪の深さ、冷たさに泣いた分、春になって雪が解け林の上に青空が広がると晴れやかな顔で笑ったものでした。そうした思いが溢れ出して一気にメロディーを書き上げたんです。」

遠藤のピアノ伴奏に合わせて、その場で千が歌う。
歌詞を口にしながら千の頭に浮かんだのは、故郷岩手県の風景だったという。
そして…出来上がったばかりのその歌を、目を閉じて噛みしめるように聴いていた和田の口から一言。

「こっちがA面でいいですね!」

4月に発売されたそのシングル盤のジャケットには大きく「北国の春」と書かれていた。
こうして世に送りだされた千の新曲だったが…発売当初は売り上げが伸びずにヒットの兆しもなかったという、
千はあるインタビューで当時のことをこう語っている。

「ステージで歌うと3番のところだけ客の反応が違うんだよ。だからヒットするまでとことんやってみようと思ったんです。次の曲を発売したいというスタッフに想いを伝えて、長期戦で勝負させてもらったんです。」

山吹 朝霧 水車小屋
わらべ唄聞こえる
北国のああ北国の春
あにきもおやじ似で 無口なふたりが
たまには酒でも 飲んでるだろか
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな


くたびれたトレンチコートに中折れ帽、古いトランク、ゴム長靴に丸めがね、首に巻いた手拭い…その奇抜な衣装は千自身のアイディアだった。

「いくらなんでも、みっともないからそんな馬鹿な格好はやめてくれ!」

遠藤は千を戒(いまし)めた。
師匠の遠藤の言うことには絶対服従の千だったが、この時ばかりは逆らったという。

「アイドルと違って演歌勢はめったにテレビに出られないんです!たまに出演する時くらいは目立たなくちゃ!」

千の大胆な発想と執念が実を結んで、発売から現在に至までの累計売上総数は300万枚を記録。
1977年から約40年間に渡っての超ロングセラーにより、NHK紅白歌合戦において“ひとりの歌手によってもっとも多く歌われた楽曲”という金字塔を打ち立てている。
後に遠藤は千をこんな言葉で讃えたという。

「いや、恐れいった。千はたいへん凄いプロデューサーだよ!」

琴線に触れるメロディーと歌詞、そして千の人間味溢れる歌声が相俟って、幅広い世代から支持されたこの歌は、その後「中国」「ネパール」「インド」「チベット」「タイ」「ベトナム」などなど…各国の言語に訳され、国境を超えて人々に愛されて続けているという。


<参考文献『うたのチカラ JASRACリアルカウントと日本の音楽の未来』第四章・いではくインタビュー 聞き手・構成・文/佐藤剛(集英社)>

<参考文献『昭和歌謡〜流行歌からみえてくる昭和の世相』長田暁二・著(敬文舎)>







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