「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the DAY

ロックバルーンは99〜ドイツ語の反戦歌が世界のチャートを席巻!?80’sを代表するヒットソングはこうして生まれた!

2018.03.24

Pocket
LINEで送る


私に時間をくれるなら
あなたのために歌ってあげるわ
水平線の彼方へ飛んで行った99個の風船の歌をね
あなたは今私のこと考えている?
じゃ歌ってあげるわ!99個の風船の歌を
何がどうしてどうなったかをね

99個の風船が地平線に浮かんでたの
誰かが「UFOだ!」って言ったら
将軍は飛行中隊で追跡させたよ
UFOに警告するためにね
だけど99個の風船が地平線にあっただけだったわ


この「99 Luftballons(ロックバルーンは99)」は、1983年に西ドイツのロックバンドNena(ネーナ)が発表した楽曲で、MTV が主流となった80年代のミュージックシーンを代表するヒットナンバーとして広く知られている。
本国では1位を獲得するも、まだベルリンの壁があった頃の西ドイツだったので、リリース当初は世界的なヒットとはほど遠いものだった。
アメリカとソビエトによる核兵器開発競争が加熱しつつあった当時、ベルリンの壁によって東西に分かれてたドイツは、現在のような“開かれた国”ではなかった。
1979年のスリーマイル島メルトダウン事件、SALTⅡ(第二次戦略兵器制限交渉)の調印と無効、日本では1983年に高速増殖炉もんじゅの着工などがあり、核に対する関心が世界的に高まっていた時代だった。
この歌の歌詞が戦争の愚かしさを風刺した内容だったこともあり、まさに“歌のチカラ”が大きな奇跡を起こすこととなる。

99機のジェット戦闘機がイカしたパイロットを乗せて
カーク船長気取りで突撃したけど
巨大な花火が上がったとたん
隣の仲間が攻撃されたと勘違いして
地平線の風船をめがけて撃ちまくったの

99人の大臣たちはマッチ棒とガソリンをちらつかせて
権力を追っかけたわ 
誰もこんなこと思ってもみなかった
その妄想を膨らませて…力を集めて…
戦争をやりたがってた
99個の風船のせいだと思ってるの?

99年間続いた戦争では一人の勝者もいなかった
もう大臣もいないし戦闘機もない
今日、いつもの道を歩いていたら
ガレキの街の片隅で1個の風船をみつけたの
あなたのこと思いながら…空に向かって飛ばしたわ


ある日、アメリカ(カリフォルニア州)のラジオ局KROQの番組DJが偶然この曲を耳にして「これはイケる!」と確信したという。
早速、自分の番組で紹介したことをきっかけに、じわじわと注目を集めだして…翌1984年にはアメリカ全土300以上のラジオ局でオンエアされるようになり、ドイツ語の曲としては史上初のビルボードトップ10入り(最高位は2位)を果たしたのだ。
その後、スイス、オーストリア、オランダ、スウェーデン、ポーランド、ニュージーランド、カナダ、メキシコ、コロンビア、スイス、イギリス、日本の12カ国でも1位を獲得。
英語歌詞ではない曲が世界的にヒットした数少ない例としては、1963年の「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」に並ぶ快挙となった。


この歌のクレジットには作詞:カルロ・カーゲス(ギター担当)、作曲:J・U・ファーレンクロック=ペーターセン(キーボード担当)と、NENAのメンバーが名を連ねている。
ある時、ローリング・ストーンズのライヴを観に行った彼らが、ステージ上で飛ばされるたくさんの風船の演出を目の当りにして…ふとあること考えたという。

「この風船がこのまま東ドイツまで飛ばされていったら、向こう側の人達は爆弾と勘違いしてしまうのでは?」

そんな当時の東西ドイツの状況でしか思いつかないような想像から、この曲が生まれたのだ。
この歌が流行した時代から約35年の時が流れた今、ドイツは脱原子力開発政策を推進する先進国として世界をリードしている。

この楽曲を歌ったNenaの女性ボーカルは、3歳の頃から「ネーナ」というニックネームで呼ばれていた。
この呼び名はスペイン語で“小さな女の子”のことを意味する「ニーニャ 」からきているのだという。
ドイツ西部にあるブレッカーフェルトという田舎町で生まれ、幼少の頃に移り住んだ工業都市ハーゲンで育った彼女は、17歳で高校を中退して地元のバンドに誘われ歌い始める。
早々にレコードデビューを果たすが…売り上げも人気も伸びずに、バンドはわずか3年で解散。
その後、21 歳になった彼女は単身で西ベルリンに移住して新たなメンバーを探す。
心機一転、新バンドNenaを結成して、翌1982年の8月にようやく大きなチャンスを掴む。
ドイツの人気テレビ番組『Musikladen』に出演したNenaは、デビュー曲「Just A Dream(夢を見ただけ)」を披露。
翌日には番組を観ていたティーンエイジャーがレコード店に殺到するなどして“Nena旋風”が西ドイツ中に駆け巡ることとなる。
翌1983年に2枚目のシングルとなる「ロックバルーンは99」を発表した後、彼女は24歳にして世界的に知られるアイドル的な存在となる。


曲のヒットから3年後…Nenaは1987年に解散。
29歳頃から彼女はソロ活動を続けながら、その後5人の子供の出産を経験する。
一時期は子供向けの曲も多く発表していたが、メインストリームからは遠ざかっていた。
2002年、40代となった彼女はNenaのキーボードだったJ・U・ファーレンクロック=ペーターセンと再びバンドを結成。
「ロックバルーンは99」のクラブリミックスなどで再び注目を集める。
2005年に発表したシングル「Liebe ist」がドイツの人気ドラマの主題歌に起用されたこともあり、22年ぶりにドイツでのチャートで1位を獲得。
アルバム『Willst du mit mir gehn』もヒットチャート2位を記録している。
自身の商業的な成功と低迷、5人の子供の子育て、離婚、再婚、長男を幼くして病気で亡くすなど、様々な人生経験を綴った自伝がベストセラーとなる。
その後、彼女は携帯電話のCMに出演したり、ハンブルク郊外に学校を設立するなど歌手活動以外にも精力的に行なっている。





Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the DAY]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ