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コールマン・ホーキンスを偲んで〜失敗を怖れずに果敢に腕を磨き続けたジャズメンの偉大な功績と足跡

2018.05.19

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1969年5月19日、“ジャズ・サックスの父”と呼ばれた男コールマン・ホーキンスが肺炎を悪化させこの世を去った。享年64。
スウィングジャズ世代のミュージシャンとしては珍しく、第二次世界大戦後はビ・バップの分野で活躍し、サックス奏者に限らず多くの後進ミュージシャンに影響を与えた。
“Hawk”や“Bean”という愛称で親しまれた彼は、どんな音楽人生を歩んだのだろう?
今日は彼を偲んで、その偉大な足跡と功績をご紹介します。
1904年11月21日、ミズーリ州のセントジョゼフで産声を上げた彼は、音楽家の母と電気工事作業員の父のもとで大事に育てられたという。
一人息子だった彼は、母親の影響もあって5歳からチェロとピアノをみっちり稽古し、9歳の時にプレゼントにもらったサックスとの出会いをきっかにジャズに興味を持つようになる。
十代の前半にもかかわらず、劇場のオーケストラやヴォードヴィル楽団に駆り出され、周囲の大人達を驚かせていたという。
息子を音楽学校に通わせて、立派なチェリストにしたいと思っていた母親は黒人でも一流の教育が受けられるシカゴへ息子を送り出す。
その後、カンザス州都トペカのハイスクールに進学した彼は、日に日にジャズの魅力に取り憑かれてゆく。
トペカから車で1時間ほど飛ばすと、そこはジャズのメッカと言われたカンザスシティだった。
そこで彼は、ルイ・アームストロングやキング・オリヴァー等がニューオーリンズから持ち込んだエッセンスを吸収し、将来ジャズメンとして生きる夢を抱くようになる。
十代の後半になると「サックス奏者としてもっと腕を磨きたい!」と決意し、ジャズの道に進むことに反対する母親を説得する。
18歳になった彼は念願叶ってニューヨークに移り住む。
当初、ミズーリ州の田舎者だった彼は、周りのミュージシャンたちから“Greasy(脂ぎった奴)”と呼ばれ馬鹿にされていたという。
数ヶ月もすると彼はすっかり都会に馴染み、後にはジャズ界を代表する“洒落男”と言われるまでとなる。
ジャズメンとして人一倍身なりにも気を使っていたという彼には、野球をする時でさえタキシードを着ていたという逸話が残っている。
1923年にフレッチャー・ヘンダーソン楽団のメンバーとして演奏するようになる。
翌年、同楽団に加入してきたルイ・アームストロングから大いに刺激と影響を受けたという。
荒々しさと洒落っ気を兼ね備えた演奏スタイルを確立した彼は、ミュージシャンとして多感な20代を同楽団の看板奏者として過ごす。
そんな中、アメリカを大恐慌が襲い、多くのミュージシャンたち仕事を失う事態となる。
1934年、30歳となった彼はアメリカよりも熱心なジャズファンが多いヨーロッパへと渡り、当時すでに世界的に名を馳せていたジャズギタリストのジャンゴ・ラインハルトやステファン・グラッペリらと共演し、ここでも「もっと腕を磨きたい!」という向上心を燃やしていたという。
長期に渡るヨーロッパでの武者修行を終えて帰国した彼は、バンドメンバーを集め自らがバンマスを務めるようになる。
この頃、録音したアルバム『Body & Soul』のタイトル曲は、彼の代表曲として現在でも幅広い音楽ファンに愛されている。


1940年代になってジャズシーンには“ビ・バップ”という新しい潮流が生まれる。
彼もその流れに注目し、自身が率いるバンドでセロニアス・モンクやマックス・ローチ等の若手を育てる。
それまでのスヴィングジャズから新時代への過渡期、彼は数年間スランプ状態に陥ってしまう。
「もっと腕を磨きたい!」
その精神を忘れなかった彼は、1950年代になって新たにモダンジャズの時代が訪れると、再び脚光を浴びることとなる。
1957年、教え子的存在のセロニアス・モンクのアルバム『Monk’s Music』に、ジョン・コルトレーンやアート・ブレイキーと共に参加。
50代を迎えた1958年には、最高傑作とも言われるアルバム『The High and Mighty Hawk』を発表し、円熟したベテランならではの演奏でジャズファンを唸らせる。


その後、トミー・フラナガン、メジャー・ホリー、エディ・ロックという若手を擁するレギュラー・カルテットを結成したり、マックス・ローチやバド・パウエルのアルバムにも参加するなど精力的に活動を続ける。
また50代の後半にはデューク・エリントンや、彼の信奉者として知られるソニー・ロリンズとも共演を果たしジャズファンを喜ばせた。
彼にとってこの50代がまさに黄金期だったと言えるのかもしれない。
還暦を過ぎてからの晩年は活動が停滞し…1969年、64歳にしてそのジャズ人生に幕を降ろす。

If you don’t make mistakes, you aren’t really trying(もしミスをしないのならそれは真剣に物事に取り組んでいない証拠なのだ)


これは、現役時代のコールマン・ホーキンスが残した名言だ。
この言葉は現代のビジネスシーンでもよく引用されるという。
人はミスを繰り返しながら成長するもの。
失敗を怖れずに果敢に未来を切り拓いた彼の姿勢は、後進のジャズメンのみならず、多くの人々に多大な影響を与えて続けているのだ。







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