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メイミー・スミスを偲んで〜歴史上初めて黒人女性としてレコーディングをした“ブルースの女王”の偉大な功績

2018.09.16

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1946年9月16日、ニューヨークでメイミー・スミスが死去した。
(※“マミー・スミス”と表記される場合もある)
死因が公表されることはなかった。享年63。
今日は、歴史上初めて黒人女性としてレコーディングをした“ブルースの女王”を偲んで、その偉大な功績をご紹介します。


20世紀に入りアメリカでは、レコードやラジオという新しいメディアが急速に発展してゆく。
1920年頃には都会だけではなく南部の山奥に至るまで、こうした文明の利器が広まっていったという。
メディアの発展によりメジャーレコード会社がブルースの根強い人気に目をつけ始める。
そして1920年8月10日、メイミー・スミス(当時37歳)という黒人女性歌手が「Crazy Blues」を含む数曲のレコーディングを行なう。
これは音楽史上初めてのブルースの録音となっただけでなく、歴史上初めて黒人女性の声がレコード化された記念すべき一枚となった。
このレコードは、発売から1年も経たないうちに販売枚数100万枚を超えるという(当時としては)驚異的なセールスを記録する。
当時の関係者が、この歴史的レコーディングのことを記憶しており、あるインタビューで回想している。

「あれは8月10日火曜日の午後だった。クラリネット奏者のジョニー・ダンとアーネスト・エリオット、そしてトロンボーン奏者のドープ・アンドリュース、ピアニストのペリー・ブラッドフォードがスタジオにいた。彼らは“ザ・ジャズ・ハウンズ”というミュージシャン集団として知られていた。この日、ミュージシャンたちにはペリー・ブラッドフォードが作った曲を演奏することしか知らされていなかった。そこにヴォードビル歌手としてキャバレーなどで唄っていたメイミー・スミスが加わって“Crazy Blues”が録音されたんだ。自分たちが歴史を作ることになるなど、誰一人として思ってなかったよ。」



以後、彼女が出すレコードは売れに売れたという。
ホーンを配したジャズバンドを従えてのツアーも行なった。
そんな中、1929年にウォール街の株価大暴落から始まった大恐慌の影響が黒人層の生活をひっ迫させる。
黒人音楽のレコード売上げは激減し、多くの歌手やミュージシャンが職を失ってゆく。
彼女は、歌で稼いだ巨額の金を派手に浪費する生活を送っていたため…50歳を目前にシーンから消え、破産者となってしまう。
しかしながら、彼女が残した実績は黒人社会に大きな影響を与えることとなった。
人種差別や女性軽視がまだ当然のように存在していた当時、黒人が自分達の存在意義を社会に訴える有効な手段として、音楽に可能性を感じるようになったのだ。
彼女の成功は、「黒人が白人より劣った人種ではない」ということを証明する意味を持っていた。
黒人であり女性であるメイミーの成功は、後のベッシー・スミスを代表とする女性ブルースの黄金時代を築き、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンなど、次世代の女性エンターテイナーが活躍する下地を作ることとなる。
この流れは、元奴隷やその子孫が結集して住んだニューヨークのハーレムを中心に起こった “ハーレムルネサンス”の勢いに拍車をかけたと言われている。
アメリカ史上において初めて黒人文化が花開いたハーレムは、新しいカルチャーの発信地となり、それまで白人を対称にしていた「文化」という存在に、大きな革命を起こす。
教育や仕事、公衆トイレやバスの席順にいたるまで、あらゆることで黒人達を虐げてきた人種差別は、彼らの未来から“希望”という言葉を奪い去るものだった。
このブルースのレコード化は、1950年代に始まる公民権運動やブラックパワームーブメントにも大きな影響を与えるようになってゆく……










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