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ルース・ブラウンを偲んで〜“アトランティックの看板娘”と呼ばれた歌姫の偉大な功績と足跡

2018.11.17

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2006年11月17日、R&B黎明期から偉大な功績を残し“アトランティックの看板娘”と呼ばれたルース・ブラウン(享年78)が、ラスベガス近郊の病院で息を引き取った。
亡くなる数週間前に外科手術を受けていたが…死因は心臓発作と卒中だったと発表された。
パワフルな歌声とダイナミックなパフォーマンスでアメリカの音楽シーンを席巻した彼女の愛称は“Miss Rhythm(ミス・リズム)”。
Rhythm & Bluesの「R」と「B」は、Ruth Brownの頭文字と言われたほどの大スターだった。
1949年、21歳で発表したデビュー曲「So Long」がアメリカのR&Bチャートで4位を獲得。
翌1950年には2ndシングル「Teardrops From My Eyes」で早くも1位を記録。
以降、同チャートにおいて通算5曲で1位に輝き“アトランティックレコード最大の功労者”として大きな功績を残している。



1928年1月31日、彼女はヴァージニア州ポーツマスで7人兄弟の長女として生まれる。
彼女の父親は、港湾労働者として働きながら、地元の教会で聖歌隊の指導も行っていた。
その影響もあり、幼い頃から彼女も教会でゴスペルを歌っていたという。
やがてアメリカ軍人主導のボランティア組織や、ナイトクラブで歌うようになった彼女は17歳の時にジミー・ブラウンというトランペット奏者と駆け落ちして旅回り興行の世界に入る。
十代にして毎夜酒場で歌う日々、一時はキャブ・キャロウェイ楽団のリーダーを務めていたジャズ界の才人ラッキー・ミリンダーのオーケストラに一ヶ月ほど所属したこともあったが…酒癖の悪さから解雇されてしまったという。
当時、別の楽団を率いていたキャブ・キャロウェイとブランシュ・キャロウェイの姉弟は、首になった彼女を誘いワシントンのナイトクラブでの公演で数曲歌わせる。
そこで彼女の才能に確信を持ったキャロウェイ姉弟は彼女のマネージメントを買って出る。
当時ワシントンで人気ディスクジョッキーだったウィリス・コノバーも彼女の唱歌力を評価し、アトランティックレコードの創始者であるアーメット・アーティガンとハーブ・エイブラムソンに「素晴らしい逸材がいる!」と紹介する。
まさに“捨てる神あれば拾う神あり”という運命の出会いを体現した彼女は、二十歳を迎えた1948年に創設されたばかりのアトランティックレコードと契約を結ぶ。
翌1949年に発表したデビュー曲「So Long」から1962年までの約13年間、アトランティックから87曲ほどレコードリリースしている。

1960年代に入ると、彼女は主婦業を優先してあまり音楽活動をしなくなってゆく。
しかし1975年にコメディアンのレッド・フォックスに切望されて表舞台に復帰。
テレビのコメディ番組『Hello, Larry』や、映画『Hairspray』(1988年)に出演し話題となる。


また、トニー賞を受賞したブロードウェイミュージカル『Black and Blue』(1989年)などへの出演もこなしつつ、歌手としてもミュージカルの曲を集めたアルバム『Blues on Broadway』(1989年)でグラミー賞最優秀女性ボーカル賞を受賞した。
還暦を過ぎて61歳となった1989年にはPioneer Awardを受賞し、65歳を迎えた1993年にはThe Queen Mother of the Bluesとしてロックの殿堂入りを果たしている。
晩年にはB.B.キングやチャールズ・ブラウンとの共演が話題となったり、ボニー・レイットのツアーにゲスト出演するなど、歌手として再び脚光を浴びることとなる。


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