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ジョルジュ・ムスタキ「私の孤独(Ma Solitude)」が日本で発売された日

2019.03.01

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私はいつも孤独と一緒に寝ていたから
孤独はまるで私の恋人だった
甘美な習慣になってしまった
孤独は影のように忠実に私から一歩も離れず
世界中どこへ行くにも私の後につきまとってきた
そう…私は孤独と一緒だから決して独りぼっちではない





1972年(昭和47年)3月1日、当時37歳だったジョルジュ・ムスタキの「私の孤独(Ma Solitude)」(ポリドール)が日本で発売された。
同年の国内ヒットソングといえば…
1位「女のみち」/宮史郎とぴんからトリオ
2位「瀬戸の花嫁」/小柳ルミ子
3位「さよならをするために」/ビリーバンバン
札幌冬季オリンピック、ミュンヘンオリンピックが開催され、自動車に初心者マーク登場、東北自動車道が開通、そして連合赤軍によるあさま山荘事件がおこった年でもある。



ジョルジュ・ムスタキという男をご存知だろうか?
エジプトはアレキサンドリア生まれのギリシャ人という生い立ちを持つ彼は、17歳の時に一人パリに移り住み、ピアノバーなどで働きながら、当時の音楽シーンの有名人達と知り合う。
シャンソン界の大御所ジョルジュ・ブラッサンスを信奉していた彼は、ある日、音楽仲間からエディット・ピアフを紹介される。
ピアフは彼に一目惚れをし…彼は当時、妻子ある身でありながら約1年間ピアフの恋人だった時期もあったという。
その頃、彼がピアフのために作曲した「Milord(ミロール)」がヒットしたことをきっかけに、イヴ・モンタンをはじめ名だたる歌手に依頼を受け、79歳で亡くなるまでに生涯を通じて300以上の曲を書いた才人である。


この曲は、1974年4月からTBS系で放映されたテレビドラマ『バラ色の人生』(主演:森本レオ、寺尾聰、香山美子)の主題歌にもなり、オリコン最高位59位を記録する。
歌詞の内容は“孤独の寂しさ”を嘆くのではなく、長い年月を共に過ごしてきた孤独を「彼女」と呼び、まるで恋人であるかのように愛おしむ男の心情を描いている。
そんな切なくも一風変わった作風がドラマのストーリーとリンクしたのだろうか…
ドラマ『バラ色の人生』は、同年(1974年)のテレビ大賞優秀個人賞(草笛光子)を受賞する。
70年代の東京を舞台に物語はこんな風に展開してゆく。
それは年上の女性にほのかな恋心を抱く青年と、同い年の女性と同棲生活を送る青年の対比を軸に、大都会に生きる若者の姿を描いたドラマだった。
河本一作(寺尾聰)は、版画家を目指して長野から上京、美術学校に通いながらアルバイトに勤しんでいる。
住んでいる古いアパートは、中学の同級生で一作よりひと足早く上京して働いている合川静江(仁科明子)の紹介だった。
一方、一作の美術学校での親友・大友清太郎(森本レオ)は、とく子という女性と同棲しながら彼女に貢がせる日々を送っていた。
そんな清太郎がある日、一作に「女性を預かってくれないか」と頼んでくる。
翌日、その女性・さくら(香山美子)が一作の部屋にやってきた。
一作は、彼女の美しさに心をときめかせるのだったが…




彼女(孤独)のせいで涙も流した
彼女(孤独)のおかげで学びもした
時々私は彼女と決別しようとするけれど…
彼女は決してあきらめない
もしも僕に他の人ができたって
彼女は私の死の間際まで最後の伴侶となるだろう
そう…私は孤独と一緒だから決して独りぼっちではない





ギリシャ系ユダヤ人の両親がエジプトに亡命中に生まれた彼。
若くしてパリに移り住み、自らを無国籍の“地中海人”と称していたという。
「愛」「旅」「人間」をテーマに、シャンソンをはじめブラジルの音楽などにも傾倒しながら、まさに多国籍な作品を作り続けた彼はまさに“自由の求道者”だった。
学生運動が世界中で盛り上がった70年代。
ビートルズが解散し、ピッピーファッション、ミニスカートやパンタロンを身にまとった若者が街を闊歩していた時代。
フランスで活躍した“地中海人”の歌が、日本のテレビから流れていた…

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