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レッド・ツェッペリンの「ロックン・ロール」が日本で発売された日

2019.05.10

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1972年(昭和47年)5月10日、イギリスを代表するロックバンド、レッド・ツェッペリンの「Rock and Roll」(ワーナー・パイオニア)が日本で発売された。
同年の国内ヒットソングといえば…

1位「女のみち」/宮史郎とぴんからトリオ
2位「瀬戸の花嫁」/小柳ルミ子
3位「さよならをするために」/ビリーバンバン
札幌冬季オリンピック、ミュンヘンオリンピックが開催され、自動車に初心者マーク登場、東北自動車道が開通、そして連合赤軍によるあさま山荘事件がおこった年でもある。



この「Rock and Roll」はレッド・ツェッペリンが1971年11月8日に発表した4thアルバム『LED ZEPPELIN IV』に収録されており、後にバンドの代表曲として多くのロックファンを魅了した。
1971年の暮、アトランティックレコードの幹部達は期待に胸を膨らませていた。
レッド・ツェッペリンの新譜が完成し、関係者からは「とんでもない大作が仕上がった!」と聞いていたからだ。
うまく行けばクリスマスに間に合うというタイミングだった。
しかし…レーベル内に溢れかえっていた浮かれ気分はバンドの手強いマネージャー、ピーター・グラントの“ある宣言”によってあっという間に萎んでしったという。

「今回、レッド・ツェッペリンはアルバムにタイトルを付けず、外ジャケットにはバンドの名前を一切出さず、レコード会社の名前もカタログ番号も参加ミュージシャンのクレジットも載せないと決めた。」


アトランティックは仰天した。

「無題だって?クレジットなしだって?一体どういうことなんだ!それじゃ商品として売り出すときにどうすればいいんだ!」


同作のプロデューサーを務めたジミー・ペイジは当時の心境をこう回想する。

「周りからは“それは職業上の自殺行為だ”と言われたよ(笑)でも、あのアイディアはレコード会社を敵に回すために考えたものじゃないんだ。あれは音楽評論家に対する俺達からの回答だったんだ。連中は最初の3枚のアルバムが売れたのは“派手な宣伝・煽りのなせるわざで才能じゃない”と言い続けてきたからね。俺達としては、ツェッペリンの人気を高めたのは音楽であって、名前やイメージとは関係ないと実証したかったんだ。」


当時、彼らはレコーディングのために合宿していたスタジオでローリング・ストーンズでも活躍していたキーボーディストのイアン・スチュアートを迎えてジャムセッションを行なっていた。
そのセッションの中で、たまたまジョン・ボーナム(ドラムス)がリトル・リチャードの「Keep a Knockin」のイントロを叩き始めたところ、ジミー・ペイジが即興のリフで応じ、そのまま発展させて作ったのが、この「Rock and Roll」だった。
レッド・ツェッペリンの楽曲としては珍しく、作曲にメンバー4人全員の名前がクレジットされている。
「Keep a Knockin’」という曲は、1920年代の曲で作者不明だという。
リトル・リチャードのバージョンで広く愛されており、レコーディング時のドラマーは、サム・クックやジェームズ・ブラウンのバックバンドも務めているチャールズ・コナーが参加している。


ジミーは当時のレコーディングのことを鮮明に憶えているという。

「まずはロンドン西部にあるアイランドスタジオでのセッションから始めた。その後、3rdアルバムで使用したヘッドリィ・グランジにローリング・ストーンズの車載スタジオを借り入れて録音をスタートさせた。一流エンジニアのアンディ・ジョンズを雇い、築200年の石造建物を世界最大級のレコーディングブースに作り変えたんだ。俺達が目指したのは、従来のレコーディングスタジオから作られるサウンドじゃなかったんだ。四角い部屋の標準的な響きじゃ嫌だったから、アンプやマイクを階段口や戸棚など、家のあちこちに動かして新しいレコーディング空間を作りだしたんだ。それは間違いなく聴き手の潜在意識に影響をおよぼすことなんだ。それは俺達が1stアルバムのころからずっと展開してきたアイディアなんだけどね。ヘッドリィでの作業でさらに“次の階段”に進むことに成功したんだ。」


そこはロンドンから2時間ほど離れたイングランドのハンプシャー州ヘッドリィ村にある古い建築物だった。
1795年に近隣教区の救貧院として建てられたという。
19世紀後半から個人所有の邸宅となり、数度持ち主を変え、1961年から空き家となっていた。
旅行者や学生のための宿泊施設として利用されながら、それまでフリートウッド・マックなどがリハーサルスペースとして使用していたこともあった場所である。
豪勢というにはほど遠かったが、野趣溢れた雰囲気はジミーの好みだった。
その古い建物から生まれた音楽は、ポップス史に大きな足跡を残すこととなった。
1971年11月8日にリリースされたその“無題”の4thアルバム『LED ZEPPELIN IV』は、アメリカだけでも2,300万枚を売り上げ、バンドのキャリアにおいて“最も売れたアルバム”として金字塔を打ち立てたのだ。


<参考文献『奇跡―ジミー・ペイジ自伝』ブラッド トリンスキー(著)山下えりか(翻訳)/ ロッキングオン>

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