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ジミー・ロジャースを偲んで〜カントリーミュージックの父と呼ばれた男の功績と、その音楽のルーツ

2019.05.26

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1933年5月26日、カントリーミュージックの父と呼ばれたジミー・ロジャース(享年35)がニューヨーク市内のホテルで急逝した。
死因は結核による肺出血だった。
カーターファミリーと共にカントリーミュージックの原点の双璧をなす彼の音楽は、その後に発展していくアメリカのロックやポップスに大きな影響を与えている。
全盛期は1927年からのわずか5年半程だったが、その短い期間に(当時としては記録的だとも言える)1千万枚ものシングル盤を売り上げた。
黒人の音楽だったブルースとスイスのヨーデルを組み合わせた“ブルーヨーデル”と呼ばれる独特の歌唱法と、日々の暮らしや労働に関する内容を普通の言葉でストレートに歌うスタイルが革新的だった。
彼の音楽はアイルランドやイギリス系民謡の伝統に根付いた保守的なカーター・ファミリーの音楽とは対照的に、ブルースやボードビルショーなどの影響を強く受けていた。 
彼は29歳で初録音する以前、鉄道工夫として黒人達と働きながらブルースを学び、ボードビルショーでの体験や放浪者(ホーボー)との交流から、種々雑多な音楽文化に接してきたという。
黒人や白人ジャズバンド、ポップバンド、ハワイアンアーティスト達との共演を通じて、独自のスタイルを築き上げていった。





この“カントリーミュージック”という呼び名は1940年代に入ってから用いられるようになったという。
日本が敗戦した第二次世界大戦後にアメリカの音楽産業は再編成され、ヒルビリーなどのマイナーな音楽もこれまで以上に全米のラジオ番組で放送されるようになる。
ところが、もともとアパラチア山脈周辺に住む山岳民に対する蔑称(差別用語)だった“ヒルビリー”という呼び方を嫌う演出家やメディアも現れ、当時はこのジャンル名をめぐる混乱がおきていた。
アパラチアンミュージック、マウンテンミュージック、カントリー&ウエスタン…その呼び方は様々だった。
カントリーミュージックの最初の商業録音(レコード作品)といえば、1923年にフィドリン・ジョン・カーソンという音楽家による「The Little Old Log Cabin In The Lane」という楽曲だと言われている。
フィドリン・ジョン・カーソンといえば、ブルースの最初のレコード作品をリリースしたオーケー・レーベルとも深く関わりのある人物である。
このカントリーミュージックとブルースの“初のレコード作品”に関しては、同レーベルのプロデューサー、ラルフ・ピアというと人物が重要な役割を果たしたと言われている。


またカントリーミュージックの中心的都市といえば、一般的にテネシー州のナッシュビルを思い浮かべる人が大多数だと思うが、実は発祥地は同じテネシー州にあるブリストルという小さな町なのだ。
1927年にジミー・ロジャースやカーターファミリーが、この町にあったスタジオで録音したことをきっかけに、現在もブリストルの町はbirthplace of country music(カントリーミュージック発祥の地)と呼ばれており、今では“カントリーミュージック発祥の地同盟”なる組織も存在している。

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