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マレーネ・ディートリヒの「リリー・マルレーン」が日本で発売された日

2019.06.15

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1975年(昭和50年)6月15日、ベルリン出身のハリウッド女優マレーネ・ディートリヒが歌った「リリー・マルレーン」(ビクター)が日本で発売された。
同年の国内ヒットソングといえば…

1位「昭和枯れすゝき」/さくらと一郎
2位「シクラメンのかほり」/布施明
3位「想い出まくら」/小坂恭子
4位「時の過ぎゆくままに」/沢田研二
5位「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

山陽新幹線博多まで開通、第二次ベビーブーム、天皇が史上初めてアメリカ合衆国を公式訪問、双子デュオ歌手ザ・ピーナッツが引退、ローソン設立、マルちゃんのきつねうどん(東洋水産)、ペヤングソース焼そば(ペヤング)、「オヨヨ」(桂三枝)、「死刑!」(漫画ガキデカ)が流行した年でもある。


彼女の代表曲としても知られるこの「リリー・マルレーン」。
その楽曲は女性の名前をタイトルにした不思議な魅力を持つ歌だった。
第一次世界大戦の最中、ハンブルクで教師をしていたハンス・ライプ(作詞者)はドイツ軍に召集され、ロシアと対峙する東部戦線へ出征した。
当時、彼にはリリーという名の彼女(食料品店勤務)がいた。
1915年、彼は戦場へ出兵する前に一篇の詩をしたためていたという。
そこには、恋人を想う兵士のやるせない心情が綴られていた。

もう門限の時間がやってきた
「ラッバが鳴っているぞ!遅れたら懲罰房3日だ!」
「わかりました!すぐに戻ります!」
僕たちはお別れを言った
君と一緒にいるべきだったのか リリー・マルレーン

もう長いあいだ見ていない
毎晩聞いていた君の靴の音
やってくる君の姿
僕が運(つき)に見離されてもしものことがあったなら
あの街灯のそばに誰が立つんだろう
誰が君と一緒にいるんだろう


第一次世界大戦後、ハンスは22年前に綴っていた詩を1937年に『Das Lied eines jungen Soldaten auf der Wacht(歩哨にたつ若き兵士の歌)』というタイトルで出版した。
翌年、その詩にドイツの作曲家ノルベルト・シュルツェが曲をつけ「リリー・マルレーン」という楽曲が誕生した。
この歌と運命的な出会いをしたドイツの歌手ララ・アンデルセンは、レコード発売のチャンスを掴む。
それは第二次世界大戦が開戦した1939年の出来事だった。
当時はドイツ国内で約700枚がリリースされただけで、しかも売り上げは60枚だったという。
販売店に山積みになってしまった売れ残りを、店員がドイツ軍の前線慰問用レコードの中に紛れ込ませたことにより「リリー・マルレーン」はラジオ放送で時々かけられるようになる。
戦火の下、ドイツが占領したベオグラード放送から流れるこの歌に、ドイツ兵だけでなく、イギリス兵をはじめ、連合国側の兵士たちが耳を傾けていた。
当時ナチスドイツの占領下では「恋人たちの別離を歌った陰鬱な歌詞が士気に悪影響を及ぼす」として放送禁止となってしまう。
さらにイギリス軍はドイツの放送を聴くことや、この歌を口ずさむことを禁止したが、それでも戦地での人気は一向に衰えなかったという。
当時“21時57分にはベオグラード放送にダイヤルを!”を合言葉に、この歌は国境を超えて愛唱されることとなる。




そのドイツでの発売からさかのぼること9年…
1930年、マレーネ・ディートリヒ(当時28歳)は母国ドイツのベルリンで舞台に立っていたところを映画監督ジョセフ・フォン・スタンバーグに認められる。
チャンスをつかんだ彼女は映画『嘆きの天使』に出演し、世界的に注目を集める存在となる。
大きく弧を描く細い眉に象徴される個性的かつ退廃的な美貌と脚線美には、100万ドルの保険がかけられていたという逸話も残っている。
その後、彼女はアメリカのハリウッドへと進出し、人気俳優ゲイリー・クーパーと共演した『モロッコ』でアカデミー主演女優賞にノミネートされるという快挙を遂げる。
1932年公開の映画『上海特急』での成功で、その人気を確たるものとする。
その翌年、彼女の母国ドイツではアドルフ・ヒトラーが首相の座につき、1934年に国家元首となる。


当時、アメリカに渡りトップ女優としてその名を世界に知らしめていたディートリヒに対して、ヒトラーは親近感を抱いていたという。
そしてヒトラーは彼女に帰国を要求する。

「私はドイツには帰りません。」

ナチスを嫌っていた彼女はその要求をキッパリと断り、アメリカ国籍を得るためにドイツの市民権を放棄する。
1939年(当時38歳)には正式にアメリカの市民権を取得する。
その年は、奇しくもララ・アンデルセンが「リリー・マルレーン」をドイツ国内で発売した年でもあった。
顔をつぶされた格好となったヒトラーは、ディートリヒが出演している多くの映画作品をドイツ国内で上映禁止とする。
ナチス政権を嫌い、ドイツを離れてアメリカの市民権を得たベルリン出身の女優マレーネ・ディートリヒが連合軍兵士を慰問した際にこの「リリー・マルレーン」を歌ったことにより、アメリカでも愛唱されることとなる。

兵舎の大きな門の前に
街灯が立っていたね
今もあるのならまたそこで会おう
街灯のそば…僕らは一つ
昔みたいに リリー・マルレーン

二人の影が重なり一つに溶けていく
僕らは愛しあっていたんだ
ひと目見れば分かるほどに
街灯のそば…僕らは一つ
昔みたいに リリー・マルレーン



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